North Korean village surrounded by mountains, fields, and vegetation in a rugged landscape.
Scenic village nestled among North Korean mountains.

北朝鮮を列車で巡る、開城と非武装地帯

さあ、もう正式に北朝鮮を走っている。北朝鮮という謎に包まれた国の田舎の景色を、制限なく写真に撮りまくることが出来た。すべてが幸せで楽しそうだ。

私たちは時間通りに13号車の前のプラットフォームに到着したが、入り口で乗車を拒否された。どうやら最後尾に別の13号車があるらしい。こっちの13号車は、北朝鮮に行く外国人のために「特別に」用意されたものだ。列車は17.30に北京を出発し、丸一日以上、正確には27時間かけて、目的地である平壌に到着する予定だが、国境で何が起こるかによっては時間が変わってくる可能性がある。とにかく、列車に乗り込めたことはとても嬉しい。最近、「親愛なる指導者様」が死んでくれたので、手続きがある程度曖昧かつごちゃごちゃになっているのだ。

Dandong Train Station

列車に最初に乗った時はかなりがらがらだった。しかし、実は私たちは車両の中に、鎖とバリアで2重に閉じ込められていることがわかった。中国内の最後の停車駅である丹東では、この車両にも多くの人々が乗ってきた。その人々は全員、私たちのように「特別な」パスポートをもつ北朝鮮人だ。この13号車に乗れるのは、外交または公用パスポート所持者に限られている。そして、一見したところでは、私たちと同じように人生を楽しんでいるようだった。

Dandong Bridge before North Korea

丹東駅では2時間ほど停車していたが、その間に2つの駅の間を少なくとも5回は行き来した(車両変更のため)。再び動き始めたかと思うと、また長い停止になった。税関だ。北朝鮮の役人は、礼儀正しく感じがよかった。英語はあまり話せないようだったが、どうにか意思の疎通は出来た。噂では北朝鮮の男性はタバコ好きだと聞いていたが、その通りだった。1箱のタバコで、ジョディはあっという間に役人の一人と仲良くなってしまい、その役人は自分が持っている色々な種類のパスポートを見せてくれたり、私たちに軍帽で遊ばせてくれたりもした。

Train Ticket in North Korea

私たちの持ち物は検査を無事通過した。危険物もなかった。北朝鮮人の乗客たちは随分手こずっていた。中国から持って帰ってきた大きな箱で、中身の多くは果物だ。税関の料金は果物1箱あたり300元だった。列車がやっと運転を再開した時には、どこからか、さらに多くの乗客が乗っていて、箱が積み上げられ、洗面台までふさがれてしまった。さらに、あっという間に車両にはタバコの煙が充満し、残りの12時間そのままの状態となる。

この列車の切符は中国語とロシア語で書かれている。中国の警察官に聞いてわかったのだが、社会主義国の鉄道連合に加盟している国の言語のみ記載されるとのことで、英語もフランス語も載ってない。

Writing in North Korea

Train Station Staff in North Korea

丹東 からの個室では、初めは北朝鮮人家族が一緒だった。3才の可愛い男の子を連れたこの夫婦は大連に住んでいるという。ご主人は中国語が少々話せ、ほんの少し英語も話せる。とても優しい感じの良い人だ。奥さんは主婦の様で、若く簡素で、子供に付きっきりという感じだ。興味深かったのは、この北朝鮮人女性の祖父母は実は日本人で、70年代に北朝鮮に行ったのだと言う。彼女は中国語は話せないのだが、彼女の知っている片言の日本語を使って私と会話するのが大変楽しかったようだ。男の子は、Iina(人贺)という名で、大連で幸せに生まれ育った。この子はまだ、何語も言葉は話せないのだが、とにかくや んちゃで手がかかるので、両親はこの小さな王子様に従うしかないようである。

Countryside in North Korea

それらに加えて、北朝鮮に入って最初に停車して税関検査をしていたところからさらに新しいメンバーが入ってきた。その2人の新メンバーは、役人ととIinaの父親から紹介された。この役人は税関の上官らしく、彼の子供とその友達が私たちと一緒にいても良いかたずねてきた。北朝鮮の上級役人から、丁寧なリクエストを受けて、断るわけがない。これで、私たちのグループはさらに増えて、ますます和気あいあいとした雰囲気になった。

Waiting for the Bus in North Korea

さあ、もう正式に北朝鮮を走っている。北朝鮮という謎に包まれた国の田舎の景色を、制限なく写真に撮りまくることが出来た。すべてが幸せで楽しそうだ。黄色みを帯びた土壌は太陽の日を受けて輝き、子供たちは外に出てきて列車が通るのを見ている。家々は新しく、きれいだ。もちろん親愛なる指導者である金日成金正日 の素晴らしいスローガンが掲げられている。21世紀の太陽なのだ。

Poor Woman in North Korea

Curious Children in North Korea

Village in North Korea

しばらく外の景色の写真を撮った後、また列車の仲間と楽しむ番だ。昼食の時間になると、あちこちからとても良いにおいがし始めた。多くの人々は弁当を家から持参してきたのだ。 今では、キムチの臭いでタバコの煙の臭いがほとんど消されている。平壌まで私たちに同行している中国の警官さえ、列車の中で料理を始めた。バリアの向こう側に、私たちのカメラやラップトップをおいたまま行くわけにはいかないので、こちら側に残ってビスケットだけでしのぐことにした。そうすると、Iinaの父親が大変心配してくれて、インスタント麺や他のものを空腹になってはいけないからと持ってきてくれた。

Countryside Slogan in North Korea

Train Station in North Korea

金日成の笑顔の写真に励まされて、空腹を差し置いて、再びこのワクワクする国の写真を撮り始めた。間もなく、非常に良く仕立てたスーツに身を包み、ポケットチーフまでつけた若者に目を惹かれた。大連の大学で金融を学んでいる北朝鮮人だった。もしこの列車に乗っていなければ、彼の表情や近づき方を見るだけでは、絶対に私の電話番号を聞きにくるのだと思った。

Skating in North Korea

この若者は英語と中国語を話せたので、私たちは彼との会話を大いに楽しんだ。しばらくすると、中国の普通の大学生と何の違いもないと思った。少し会話にも飽きてきて、例の新入り2人のほうを見てみた。税関役人の息子も同じ位の年で、中国で英語を学んでいた。彼はそれほどオープンな感じではないが、それでも連れの青年に比べると、まだ随分気楽な感じだ。連れの北朝鮮人青年は超真面目なヘアスタイルで、伝統的な北朝鮮スーツを着ており、少し年上で非常に寡黙だ。私たちが、若いほうの青年に、何か言ったりたずねたりすると、すぐさまにすべてを連れの青年に通訳するのだ。

Countryside Slogan in North Korea

少しすると、眠気が襲ってきてうとうとしてたら、誰かが毛布をかけてくれる気配に気づいた。また、Iinaの父親が気を使ってくれていた。その後、今度は自分の妻に同じことをしてあげていた。何て、優しくていい人なんだろう。しかし、彼は私たちが北朝鮮に行くというのに驚きを隠せない様子だった。彼の態度、話し方、金日成バッジから判断すると、とても保守的な人に違いない。私たちのことをとても心配してくれて、北朝鮮ではどういう風に話すべきかというのを自然に教えようとしてくれていた。

Pyongyang to Kaesong

私たちは平壌から開城に向かって車の旅を続け、北朝鮮の田舎を見て回った 。非常に霧っぽい天気だったので、すべてがとてもミステリアスな雰囲気に見えた。この方角に走る道はこれ一本しか無く、長いでこぼこした道だった。武装した兵士がいる検問所が多数あった。半分ほど走ったところで、トイレ休憩に止まったが、結局お茶もすることにした。ウェイトレスが粉末のインスタントコーヒーとお湯の入ったやかんを持って来た。あまりにエレガントさに欠けるので、私たちのガイドがミルクを頼んだ。そうすると、すぐにイチゴミルクの粉末を持って来た。4ユーロのコーヒーだ。心から楽しむようにした。

DMZ Access in North Korea

遂に韓国の非武装地帯(DMZ)にある有名なチェックポイントである板門店に到着した。今、車の中には6人の北朝鮮人、そして私たち2人の外国人が乗っている。南の帝国主義に対してよく保護されている。「検査」のはずが、なぜかジョディが北朝鮮の兵士に質問を受けることになった。非武装地帯の向こう側にフランスの国旗が掲げてあったらどう思うかと聞かれたジョディは「ええ、、、でも向こう側には何の国旗もないじゃないですか!」などと、向こう側を注意深く見ながら、のたまった。

DMZ Cameras in South Korea

朝鮮戦争で北朝鮮を助けたのは中国なので、私は中国人と北朝鮮の同士から暖かい歓待を受けるだろうと思っていた。しかし、それに反して、朝鮮戦争時および戦後に中国が北朝鮮を助けたことは一言も話に出ず、すべては偉大な指導者金様の指導下の勇敢な北朝鮮の人々の結果なのだった。しかし、目の敵であるアメリカのことはしっかり話していた。アメリカ人は、あまりにも自分たちを恥じているので国連の旗だけを持って来たとか、韓国は本当は北朝鮮と一緒になりたいのに出来ないのはアメリカのせいだとか言っていた。

Goats in North Korea

Main Street in Kaesong

がっしり武装した兵士から、散々重い反帝国主義の教育を受けた後、ゆったりした北朝鮮の人々の世界に戻って幸福な気分になる。道路を横断するのも非常にゆったり出来る。なんたって、平壌を離れると車はまるっきり見かけない。 ガソリンスタンドも一件も見かけなかった。ガソリンはどこのブランドのなのだろう?しかし、自転車はあちこちで見かける。この政権下では、自転車は富のシンボルのようだ。

People in Kaesong

Bikes...
Bikes…

開城の観光客専用の 「伝統的な」村で昼食となった。食べ物はとてもカラフルでおいしそうだ。しかし、この時は後々私たちがひどい食あたりになるとは思ってもいなかった。この日が終わる頃には、私はホテルの部屋で這い回って、お湯を飲むのが精一杯だった。ここでアドバイス:このような緊急事態のために自分で薬を持参すること。私は持って来てなかった。ああ、馬鹿な私。。。ここには北朝鮮かロシアの薬しかないので、何が書いてあるのかもさっぱりわからず、ますます具合が悪くなってしまう。

Koryo Museum in Kaesong

Old Village in North Korea

Food.
Food.

Children in Kaesong

食あたりを起こすことになった昼食の後、身体が重く感じたので、腹ごなしのために、散歩をすることにした。上の写真で、子供たちが小さなほうきを持っているのが写っている。私たちのガイドが熱心に言うのには、この天使の様な子供たちは、石碑を清掃するボランティアをするのだそうだ。実際にボランティア活動は、北朝鮮では非常に一般的である。週に6日仕事にいそしんだ上、さらに喜んで自発的に集まってボランティア活動をするのだ。なんて素晴らしい国、素晴らしい国民なんだろう!

Weapons in Kaesong

Bikes in Kaesong

Company Charts in Kaesong

Humpback in Kaesong

Child on a Bike in Kaesong

Street.
Street.

Industrial Power in Kaesong

散歩の後も、私の胃の調子はあまり良くならなかったので、予定より少し早めに平壌に帰る用意を始めた。帰り道、いつも通り、私たちの女性ガイドはずっと爆睡し、前の席の男性2人は会話に夢中だった。もちろん、ジョディは自分の70ー200レンズで牧歌的な生活を撮影するチャンスに大喜びだ。その一方で、私は冬の太陽を楽しんでいた。親愛なるリーダーだの、偉大な父の話を聞かされること無く、一人きりで平和でロマンチックな気分になっていた。

Tree of Life in North Korea

私たちは祖国統一の記念碑(Three Charters for National Reunification Monument)に写真を撮るために立ち寄った。我々の男性ガイドのカンさんは、私たちがどれほど写真を撮るのが好きかよく知っているので、(いつものように)私の腕をとって、写真を撮れるように道路の真ん中まで連れて行ってくれた。好き勝手に道路を歩けるこの国って素晴らしい。カンさんは、まるで韓流ドラマに出てくる男性のようにとても優しい。いつでも私が安全なように(むりやり)私の腕をとってくれ、歩く時にはいつでも重い三脚を持ってくれるし、今は私のおなかの具合をとても心配してくれている。もうこうなったら選択肢はない。まっすぐにホテルに帰るしかない。

Three Charters for National Reunification Monument in Pyongyang

こうして、平壌近郊の探検は終了した。ホテルの部屋に戻ってきたが、ものすごい寒気に少し熱まである。前夜は私たちの部屋にあったはずのヒーターをリクエストしたのに、だれも取り合ってくれない。しばらくしてわかったことだが、ここでは病人を誰も助けてくれない。多分ホテルから即刻出て行って欲しいと思っているのだろう。こうなったら、自分で出来る限りのエネルギーを集めて回復するしかない。その間、ジョディは私たちのホテルの部屋から素敵な写真をたくさん撮っていた。

View of Pyongyang

Morning View of Pyongyang

平壌についての次の記事でさらに良い写真をもっと掲載します 。お楽しみに。

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はじめまして

Jordy Meow

私は日本在住のフランスの写真家のJordy Meowと申します。私は日本に来たり日本に滞在する外国人のために、風変わりであまり有名でない場所の情報を見つけたりシェアしたいと思っています。私は書籍を出版したこともございますし、現在は綺麗なガイドブックのシリーズを新たに準備しているところです。