軍艦島、端島: 日本の廃墟の最高峰だ。こんなに早く行けることになるとは思ってもいなかった。ここで、ものすごい冒険に満ちた週末を過ごすことができ、 こんな素晴らしいチェックポイントに行って2010年末を迎えることが出来るのは非常にうれしい。軍艦島とその歴史を探検するときが来た!
1810.
長崎から数キロ離れた小島である端島で鉱脈が発見される。
三菱がこの島を買い取り、開発を開始。三菱は生活に必要な設備を入れ、労働者たちに家族を連れて島に来て住むように言った。 しかし、栄養不良、過労、病や炭鉱事故などで命を落とす者が多数出た。中には悲惨な生活に耐えられず窓から投身自殺をする者もいた。まるで生き地獄だった。 その後1945年に長崎に原爆が投下され状況はさらに悪化した。端島にあった窓はすべて吹き飛ばされてしまったほどだったが、それでも日本復興のために労働者たちは働き続けるほかなかった。
1959.
端島は巨大都市になっていた : 5300人もが居住し(1平方キロあたり84100人の人口密集度だ!)当時は世界一の人口密集度だった。島の土地は余すところなく完全に使われていた。アパート用ビル群はもちろんのこと、学校は2校、病院、体育館、映画館、店舗25件、寺、パチンコ屋、多数の飲み屋、そのうえ売春宿までそろっていた。全体に階段や通路が迷路のように張り巡らされ、日の光さえろくに入らなかった。端島では非常に良質の炭が採れ、日本の経済発展を支え続けて来た。
1974.
やがて石油が石炭に完全に取って代わるようになり、廃鉱に余儀なくされた。1974年4月20日、最後の住人が島を後にした。やがて、端島は幽霊島、軍艦島として名を馳せるようになる。
2010.
軍艦島に到着したのはある美しい秋の日のことだった。初めに浮かんだ質問は、「端島なのか、軍艦島なのか?」ということだった。どうして二つの名称があるのだろう? グンカンジマとは「軍艦の様な島」ということだ。これは正式な名前ではないが、使われることは実際の正式名称よりはるかに多い。この名前は島の外観から来ている。島の一番高いあたりに小さな寺があり、その横には親方の住居があり、取り壊される以前はこの島唯一の木造家家屋だった。
人が離れてからは島は厳重に立ち入り禁止となっている。例外として静かに釣りをするほんの少数の釣り人だけにアクセスが許可されている。ジャーナリストや映画スタッフには対応が悪いことも多々あり、中には許可を得ずにこっそり忍び込むやつもいる! ところで私たちはまだ軍艦島には到着していない。私たちが上陸することは拒否されたのだが、周りをボートから見るだけならと、とても手頃な価格で乗せてもらったボートからあちこち見ているのだ。でもなんとラッキーなことに、このボートツアーの後島に上陸する方法を見つけたのだ! 翌朝の日の出前に決行する予定となった。
11月19日 午前6時
小さなボートに乗った。岸を離れるとすぐに船頭が明かりを全部消した。これはもちろん、誰にも気づかれないようにするためだ。興奮が高まってくる。真っ暗な闇の中でも軍艦島が認識出来る。
船長が、船首からすばやく島へ飛び移るように言った。一時間したら迎えにくるから、それまでには壁の後ろに隠れて迎えを待っているようにと言われた。船長、了解!遂に島に降り立った。本当に真っ暗なので写真を撮るのは難しいだろう。まずは島を回りたいので、それなら簡単に出来るはずだ。元鉱夫によると、島の横断にはタバコ一本吸うほどの時間もかからないという。
しかし、動き回るのはそう簡単ではなかった。建物の多くは崩壊しており、床は木片や、鉄屑、もう形もとどめていない様な雑多なもので埋め尽くされている。機敏に、用心深く行動しなければならない。アパート群のあたりを素早く通り抜けて、炭坑側に移動した。人が住んでいたあたりの方が面白いのだが、それは後にとっておいた方が良い。もっと明るくなるはずだ。
実際の炭坑にはほとんど何も残っていなかった。廃鉱になった時に三菱が完全に撤去したんだろう。
ここには軍艦島の公共浴場があった。当時は壁に囲まれていたと思われるが、今では長崎の海岸線が目前に見渡せる。少し行くと新設された「展望デッキ」があり、公式旅行者はここにだけ行くことが出来るが(2009年4月より)、他の場所には行けない。
それでは居住区の方に帰ってみよう。ここはもの凄い。映画メトロポリスの中に放り込まれた様な気がする。凄まじい迷路で、すっかりその中にはまり込んでみる、、、
本当は一つ一つの建物の部屋を一つ残さず訪れて、三脚を建てて美しい写真を撮りたいところだが、、、時計を見るたびにカミソリで斬りつけられるように心が痛む。時間がない!実際のところ、ここでは簡単に迷い込んでしまう。一つの場所から次の場所に移動するのに、真っ直ぐ行けないのだ。それはゴミが散乱しているからだけではなく、この島の作り自体が尋常ではないからだ。正常な世界に帰るためにはあの船に乗るしか手だてが無い、、、あとたった30分で迎えにくる。
勾配の急な通路をたどって行くと、あるビルの屋上に出た。時間がないので、急いでおりる方法を見つけなければならない。あそこの階段は危なそうだが、それしか方法が無いかもしれない。
1974年、軍艦島の住人たちは退去にあたり3ヶ月の猶予しかなかったので、今でも島にはかなりの品々が残っている。その一例が、この古ぼけたテレビみたいな画面のあるものだ(それとも古いゲーム機か?)。
ベランダからは他人の生活が丸見えだ。覗き魔には天国だが、普通の人間には悪夢でしかない!
ここは完全に残骸だらけだ。安全性に不安を感じる。でも心配ない。今日はとても静かで平穏な日だ。なんと言っても軍艦島は過去に数えきれないほどの台風や、津波、原爆さえ経験している。だから今すぐに何か起こるわけが無い、かな?
地獄段は島の一番高いところにある寺へ続いている。非常に急傾斜の階段なので地獄みたいだ、というわけだ。
ここの写真に写っているビル群はすべて1918年に建てられたもので、当時はこの島におけるメインのアパート群だった。もちろん有名な65号棟が建つ前の話だ。
軍艦島の建築は非常に興味深い。ほとんどのビルは連絡橋でつながっている。未来的な感じだが、同時になにかしら暗い感じもある。
65号棟は、軍艦島でずば抜けて一番印象深い建物だ。これだけで軍艦島に行く価値が十分にある。1945年に建てられたこの建物は9階建てで317戸のアパートがあった。中庭にある植物は当時は全く生えていなかった。軍艦島には緑がまるで無いことで知られていた。1948年にここを舞台にして撮った映画の題名「緑無き島」はこれから来ている。
21世紀日本の厄介な伝説を愛する幽霊トトロが、ここに住んでいる。こいつには気をつけろ。この写真をあんまり眺めていると目をやられるぞ。
65号棟は幽霊屋敷がたくさん重なっている墓場みたいだ。
壁には誰かが書き残した詩があった。
病院から外を見ると、校庭が広がっていた。若さがあった、古き良き時代。無邪気さ。健康。幸せ。昔はすべてがうまくいっていて、素晴らしかった。
病院の大きな手術室だ。後ろにあるいすの上に「ジオキャッシュ」を残して行くにはタイミング、場所ともに最高だ。いつか誰かがサインをすることになるのだろうか?
65号棟(右側)は実際は非常に高校に近い場所に建っている(左側の少し後方)。
ビルの間に三日月が出ている…
左側は終業式の写真。もうすでにあまり生徒がいなかったようだ。
さあ、ようこそ軍艦島高校へ!これはかなり新しい建物だ。建て終わったのは1958年のことで、軍艦島の建物としては最後に建てられたものとなった。
以前は、ここは騒々しく、生き生きしていたに違いない。休み時間の校庭の活気、絶え間なく操業する炭坑からの騒音、街の中心もすぐ近くだ。それが今となってはこの死んだ様な静けさを邪魔するものは吹き抜けて行く風のみだ。
学校の内部は少し寂しい感じだった。でもここはまだ2階、もっと上の階に行けばもっと驚く様なことがあるだろうか?でも多分無いだろう。とにかく時間がない。見に行く余裕は無い。
船長に待っているようにと言われた場所に戻って行く。既にボートがこちらに向かってくるのが見える。あと2、3分しか残っていない。
最後の写真を撮っていると、日が昇り始め、65号棟に光が射し始めた。海にも活気が出て来て、多数の船が出ているのが見える(漁師と旅行者)。これはまずい。もう7時半だ。帰らなくては。
この小さなモザイク壁画が「来てくれてありがとう。又会えるのを楽しみにしているよ。」と言っているようだった。考えておく!
ボートが静かに壁に当たった。ためらうことなく私たちはボートに飛び乗った。大急ぎだったが、とにかくミッションは完了した。即座にボートは方向転換してスピードを上げた。速く立ち去らなくてはならない。そのとき船長に沿岸警備から電話が入った。船長が私たちに向かって、濡れた臭い船床に身を低くするように合図する。あれはちょっとびびった。遂に本土に帰って来た。本当に嬉しい。船長までとても嬉しそうで、初めて私たちに陽気に話し始めた!忘れることの出来ない瞬間。やったぞー!
私が軍艦島に残して来た「ジオキャッシュ」に関する詳細情報はGC2JX0Q を見ていただきたい。ご存じない方のために、ジオキャッシングとは、そこを見つけて訪れた人々のための小さな記録帳が入った隠されたキャッシュを探すと言うアクティビティだ。ここに初めてのジオキャッシュを残せたことをとても誇りに思っている。ここに掲載した白黒写真は全て雑賀雄二氏撮影だ。1974年に最後の3ヶ月の様子を撮ったものだ。雑賀氏のウェブサイトは素晴らしいのでお薦めする。
さらに私たちは、元住人が中心となってこの島をユネスコの世界遺産として登録する応援をしている。是非端島の情報が詰まったウェブサイトもご覧いただきたい。
軍艦島についてもっと知りたい方は、是非私たちの他の記事軍艦島探求を読んでもらいたい。(^_^) 来てくれてありがとう!
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