Sado Gold Mine

佐渡金山:金を流し続けた山

新潟の沖に浮かぶ佐渡では、金と銀をめぐる約四世紀の採掘の歴史が、坑道、削り取られた山肌、そして今はユネスコ世界遺産に登録された産業遺構の広大な集合として残されている。相川の主要鉱区から北沢の旧浮遊選鉱場まで、壮観で時に奇妙な、日本の鉱山史と、労働と搾取という荒々しい記憶が交差する場所を歩く。

金と海と、かすかな居心地の悪さ

佐渡は、ただフェリーに乗って魚を食べ、穏やかなふりをする日本海を眺めるだけの島ではない。約四世紀のあいだ、この隔絶された土地は日本有数の金銀の鉱脈のひとつだった。地形は風景ではなく、空にすべき資源そのものだった。掘られ、換気され、排水され、削られ、監視され、迷宮になるまで使い尽くされた火山の金庫である。

新潟から両津までフェリーで渡る。着いたら車を借りるのがいい。佐渡は島とはいえ、コンパクトな絵はがきのようには回れないからだ。距離は伸び、道は曲がりくねり、バスはあるが、廃墟や歴史的な坑道を巡りたいという思いに必ずしも合わせてはくれない。鉱山跡は西海岸の相川側にあり、海と丘陵と古い鉱山施設が、まるでパラレルワールドの日本に着いたかのような感覚をすぐに与えてくる。

紙の上では、佐渡金山は大きな史跡だ。だが実際には、もっとずっと奇妙である。坑道があり、解説があり、案内板があり、よく整備された順路がある。それでいて、ここのすべてがある矛盾の上に成り立っているという感覚が消えない。私たちは技術的偉業を称えに来るのだが、その偉業は、何世代もの男たちを過酷な、時に悲惨な条件で働かせ、岩から金をもぎ取ることで成し遂げられた。佐渡は輝く。だが、汚れた手で輝いている。

真っ二つに割れた山

この鉱山の象徴が道遊の割戸(どうゆうのわれと)、山の稜線を切り裂く巨大なV字の裂け目だ。遠くから見ると、誰かが巨大な斧を風景に突き立て、抜き忘れたかのようだ。自然の断層でも、インスタ映えする地質の気まぐれでもない。これは採掘の傷跡である。

17世紀初頭から、鉱夫たちは槌と鑿(のみ)で手作業で金鉱脈に挑んだ。岩の中の金を一センチ刻みで追い、この壮絶な裂け目を開くに至った。道遊の割戸は幅およそ30メートル、深さ70メートル以上。ただ圧巻なだけではない。ほとんど不条理だ。見ているのは一つの穴だが、その穴は、どんな案内板よりも雄弁に、鉱床の経済力、貴金属への執着、そしてそこに飲み込まれた人間の力を物語る。

寒さの中の男たち、闇の中の人形たち

坑道の見学はこの史跡の見どころのひとつだ。湿って冷たく狭い世界へ下りていく。気温は年間を通して10度前後。真夏なら最初の五分はむしろ心地よい。だがそのうち、ランプの灯りだけを頼りに、煙と粉塵と湿気に満ちた空気の中でここで働くとはどういうことだったのか、想像し始める。

最もよく知られているのは宗太夫坑(そうだゆうこう)で、江戸時代初期に手掘りで開かれた。来訪者の理解を助けるため、史跡では鉱夫たちの所作を再現する動く人形が設置されている。もはや単なる坑道ではなく、労働の小さな機械仕掛けの劇場だ。人形たちは腕を上げ、岩を打ち、ポンプを動かし、道具を見張る。中には、やや時代がかった日本の自動人形特有の、教育的な博物館とよく出来た悪夢の中間のような、こわばった表情のものもある。キッチュだが、そのキッチュさが効いている。抽象的になりかねないものに存在感を与えるのだ。採掘の専門家である金掘大工(かなほりだいく)が小さな集団で働く姿が見える。鑿で岩を掘るのは競うような遅さの作業だったとわかる。何時間もの労苦のあとにわずか数センチ。鑿はすり減り、鍛冶がそれを直し、見習いが道具を運び、棟梁が出入りを管理した。採掘は、岩にあいた単なる穴ではなかった。

そして水があった。坑道が深くなるほど、排水が必要になった。アルキメデスの原理に着想を得た水上輪(すいしょうりん)などの揚水装置で水を汲み出した。ここでも細部が見事に具体的だ。見学地になる前の佐渡金山は、再び湿って暗く通行不能になろうとする自然との絶え間ない闘いだった。

幕府が見つけた打ち出の小槌

この地が重要性を増すのは17世紀初頭、徳川家康が島を直轄地に置いたときだ。理由はすぐにわかる。佐渡の金銀は幕府にとって戦略的資源となった。江戸の日本は、城と優雅な侍と構図の整った浮世絵だけでできているのではない。金属の流れ、工房、税、街道、船、地下に下りる男たち、そして上がってくるものを数える役人の上にも成り立っている。江戸時代を通じて、佐渡はこうして徳川の権力の隠れた原動力のようなものになった。金の打ち出の小槌だ。ただし機械の裏には、体と技と、絶え間ない監視があった。

この場所が面白いのはここでもある。ひとつの資源が島全体をどう変えるのかが見えてくる。地形、集落、港、神社、街道、生業。そのすべてが最終的に採掘を中心に回りだす。儀礼さえも巻き込まれる。新しい鉱脈に挑む前には、山の神に祈り、岩を「和らげ」、働く者を守ってもらった。「やわらぎ」の儀礼がすでにすべてを語っていた。金を取り出すには、自然と交渉する、あるいは少なくとも交渉するふりをしなければならなかった。

北沢、イラクサに埋もれた城

主要な史跡から数分のところにある北沢は、おそらく佐渡で最も壮観な場所のひとつだ。旧浮遊選鉱場であるこの場所は、植物が引き取ることに決めた産業遺構のようだ。コンクリート、テラス、アーチ、緑に覆われた壁、巨大な構造物。近代の廃寺か、秘密基地か、あるいはゾンビがやる気満々の苔に置き換えられたポスト・アポカリプス映画のセットを思わせる。

北沢は鉱石の処理に使われた。浮遊選鉱の原理によって、粉砕後に鉱物を濃縮できた。最盛期には月に5万トン以上の鉱石を処理でき、当時の東アジアで最も高性能な施設のひとつと称された。今残るのは生産能力ではなく、その姿だけだ。

ひっかかりの残る世界遺産

2024年以降、佐渡金山はユネスコ世界遺産に登録されている。登録は、江戸時代に発展した非機械的な採掘技術、とりわけ西三川と相川鶴子のものを評価している。重要な評価ではあるが、それは清潔で整然とした歴史の真空の中に訪れたわけではない。この史跡は、はるかに暗い歴史とも結びついている。日本の植民地時代と第二次世界大戦中の、朝鮮人の強制労働である。この問題はユネスコ登録をめぐって日本と韓国の間に緊張を生んだ。日本は朝鮮人労働者の厳しい労働条件に触れる展示を設けたが、その歴史をどう名づけるか、あるいは十分に名づけないか、は今も論争の的だ。佐渡ではユネスコの肩書きが大いに輝く。だが、磨きすぎてはいけない……

金だけに尽きない島

落とし穴は、鉱山だけのために佐渡に来て、佐渡金山、北沢、道遊の割戸をチェックし、島を「制覇」した気分で帰ることだ。それはもったいない。佐渡には別の層がある。荒々しい海岸、静かな集落、棚田、小木(おぎ)のたらい舟、盥のように頑固に操る丸い小舟。再導入された朱鷺(トキ)、祭り、寺、古い民家。そして、一度にはその姿を明かさないほど大きな島だという感覚。

佐渡、ポケットの中の冷たい延べ棒

佐渡では、金はもう本当には岩の中にない。美しさと居心地の悪さ、苔に食まれたコンクリート、凍えた坑道、そして消えずに残る物語の、奇妙な混ざり合いの中にある。1989年に閉山した鉱山。それでも、地表の下で働き続けている。

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