2011年3月、日本で何が起きたかは誰もが知っている。しかし、瓦礫を自分の目で見るのは、まったく別の話だ。ここで自分たちの感情を書き連ねるつもりはない。ただ写真とともに事実を提示するだけだ。それで十分のはずだ。以下の写真はすべて、津波から8か月後の大船渡市と気仙沼市で撮影されたもの。
東北地方太平洋沖地震は2011年3月11日14時46分に発生した。日本で観測史上最大の地震──マグニチュード9──であり、それに続いて巨大な津波を引き起こした。我々が訪れた東北地方の一帯では、波の高さは40メートルにも達した。この数字を見れば、看板や道路標識が完全に破壊されている理由は容易に理解できる。
地震の規模を測るもう一つの方法は、犠牲者の数だ。今回、日本は15,833人の死者と5,943人の負傷者を出した(警察庁)。地震の力の大きさを考えれば、その数字はほとんど驚くべきものではない。しかし、家族や友人を失う以上に厳しい現実は、住まいを失うことでもある。17,000戸の家屋や建物が完全に地図から消えた。
地震と津波がここまでの被害を生むとは、信じがたい。壁が吹き飛んだ家、屋根しか残っていないガソリンスタンド、川にバラバラに散らばった橋、ねじ曲がった線路、見当違いの場所に取り残された船…現地の人々は特に、道路の上に乗り上げた巨大な漁船に引き寄せられていた。観光スポット──きっと善意の観光客向けに。
どこにでも積み上げられた車の山も、もう一つの「アトラクション」だった。粉々に砕けて潰れた車を見て、いったいどうやってこうなったのかと考えてしまう。まだ車の形を保っているものには、名前や電話番号が書かれた小さな紙が貼られていた。なぜだろう?持ち主が引き取りに来るためなのか?それとも逆に、もう廃車にしかならないと確認するためなのか?
8か月経った今もなお、まるで地雷原のような状態だが、それでも状況はかなり改善した。実際、土地の片付けには多大な努力が払われている。もし疑うなら、ぜひThe Sacramento Beeを見てほしい。8か月前の写真と現在の写真を比較してくれている。
最後にもう一つ──液状化現象。街を歩いていると、水によって完全に通行不能になった区域に次々と出くわす。海水がそこかしこを取り戻していたため、立入禁止の標識を越えることを差し控えた数少ない瞬間の一つだった。でも、子供たちは勇敢だ。あちこちで走り回り、跳ね回る小さな姿を見かける。まだ本当の世界を理解するには幼すぎるのだ。
M9の地震、30〜40メートルの波、日本列島が東に2.4m移動、
15,833人の死者、17,000戸の家屋や建物が破壊。
史上最も損害の大きい災害。
























