Moss-covered railway tracks crossing a stream in a lush green forest corridor.

石塚、屋久島の忘れられた集落

近年の屋久島の地図から、石塚という地名はほぼ姿を消した。古い、時に齧られたような地図を引っ張り出して、ようやく安房川の谷の上、標高800メートルあたりに、その名前が浮かび上がる。島の山あいに失われた、かつての林業集落。昔はトロッコ軌道で安房港と結ばれていた。20世紀のかなりの期間、石塚は屋久杉伐採の中心地のひとつだった — 千年杉に大工が夢を見、時代を先取りした自然保護家が眉をひそめた、あの杉たち。そして数年のうちに、チェーンソーは沈黙し、住民は去り、家屋は解体され、森は苔のカーテンを舞台にゆっくりと引いた。

もう存在しない村へ向かう道

忘れられた場所、パンフレットに載っていない道、少しきしみすぎる金属の線路が、ぼくは大好きだ。石塚という名前は、ずいぶん前に屋久島の古い地図で目に留まっていて、いつか行こうと心に決めていた。紙の上では、よさそうな計画に見える — 有名な林業軌道を遡り、ジャングルの空気と木橋を味わいながら、定番のスポットには向かわず、消えた村へと続く廃線の枝に分岐する。

出発の朝、人はあまりいない。コースの前半三分の一には、縄文杉とインスタ用の杉写真を夢見るトレッカーが数人。それを過ぎると、突然、誰もいなくなる。石塚への分岐点を境に、軌道はその表情を変える。

整備されたレール上の心地よい散歩は、忘れられた舞台装置の中の縦走に変わる。枕木は傾き始め、虚空の上に半分しか乗っていない区間もあり、倒木が道を塞ぎ、植物は侵入モードに入る。慎重に、一歩ずつ確かめながら、すり抜けるように進む。ぼくが惹かれていたのは、まさにこれだった — ジャングルに飲み込まれた古い軌道、谷の上に少し高すぎる橋、人間のものでなくなった構造物を踏んでいくという感覚。

どこか下のほうで水が流れる音が聞こえ、遠くで猿の鳴き声が響き、ときどき木のきしむ音がする。それが枝なのか、疲れた枕木なのかは分からない。山は怖がらせようとはしていない。ただ、この道は、錆びた美学を求めて一人で歩く散策者のために作られたものではない、と静かに思い出させてくる。

森が小さな近代都市を抱えていた頃

石塚をとりわけ興味深くするのは、今目に映るものと、かつての営みとのコントラストだ。1920年代の初め、営林局は山の真ん中に伐採の拠点を置くと決めた。集落は前線基地として機能し、杉を伐り、丸太を蓄え、海岸への搬出を組織する役割を担った。二年後、もう少し下流、谷の対岸に、もうひとつの集落、小杉谷が築かれた。森の海の中に浮かぶ、二つの人間の小さな袋。

木材を搬出するために、安房川沿いの軌道が敷かれ、安房港へとつながった。この細いレールの上を、小さなトロッコが巨大な丸太を海へ運び、逆方向には、米、道具、物資、世間の便りが上ってきた。1960年ごろの最盛期には、石塚と小杉谷あわせて数百人の住民が暮らしていた。家族がいて、子どもがいて、両集落の子を受け入れる学校があり、山の祭りがあり、東京の役所ではなく森のリズムで動く生活があった。

森が現場を取り戻した日

1960年代の終わり頃から、シナリオは反転する。集落周辺の大杉が、数十年にわたる集中的な伐採で減ってゆき、林業の魅力は次第に失われていった。同じ頃、日本でも古代林を守るという考えが広がってくる。屋久島では、屋久杉が「資源」から「守るべき自然遺産」へとゆっくり位置づけを変えていく。現場は次々に閉鎖されていった。

石塚にとって、あとは早かった。集落は60年代末に閉じられ、小杉谷もすぐに続いた。家族たちは荷物をまとめ、自分たちの家を板一枚ずつ解体し、長年木材搬送に使ってきたレールで資材を下ろした。役に立つものは持って降り、すでに錆との戦いに敗れたものは置いていった。残ったのは、石の基礎、低い石垣、忘れられた金属片、そしてレール — 何より粘り強く、まだそこにある。

消された村を歩く

ようやく石塚の跡地にたどり着いても、時代に止まったゴーストハウスが並んでいるなどと期待してはいけない。そういう廃墟ではない。集落は廃村の前に、きちんと解体されていた。残るのはもっと控えめなものだ — 石の列、苔むした石垣、落ち葉に半分隠れた踏台、道具の断片、錆に喰われた金属の破片。すべてが半分のみ込まれ、半分だけ見えている。

古い軌道と、見せかけの安心感

石塚へ向かう廃線の枝とは対照的に、本線のほうは、ほとんど歓迎モードの散策路になっている。屋久島の伝説の杉へ向かう登山者で賑わうエリアだ。この最初の数キロは、すべてが比較的安心して見える。レールはきちんとそこにあり、枕木はしっかり持ちこたえ、橋は補強されている。グループとすれ違い、ストック、ガイド、ときにはメンテナンス用の小さなトロッコすら見かける。

石塚まで行く価値はあるのか?

石塚は、屋久島のチェックリストに加えるような場所ではない。縄文杉への整備された道とも、アクセスしやすいスポットとも違う。これは要求の多い歩きだ。時間も、注意も、ぐらつくレールへの耐性も、そして本物の自立性も必要になる。

だが、近代日本と忘れられた日本が、もはや重ならない場所が好きな人、足元に埋もれた過去が、ふいに浮かび上がってくる感覚が好きな人にとって、石塚にはほかにはないものがある。野生に戻った森の中を歩きながら、同時に小さな産業叙事詩の舞台裏を歩いている — その両方を、同時に。

ゲームの背景でもなく、屋外博物館でもない。
ここは住人のいる空白、地図の外へとそっと滑り落ちることを選んだ場所。それでも、ねじれたレール、苔むした石垣、苔の下にかろうじて残る数段の石段の中に、まだ生き続けている。

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