Exploring Pyongyang Metro: Curved tunnel with moving walkway, daily ridership up to 700,000.
Journey through the dimly lit curve of the Pyongyang Metro.

平壌、徹底探検

平壌のすべての記念碑等に敬意を払った後は、北朝鮮の素晴らしい施設を見てみる番だ。

平壌のすべての記念碑等に敬意を払った後は、北朝鮮の素晴らしい施設を見てみる番だ。まず最初の探検は平壌の地下鉄に乗ることから始まった 。平壌の地下鉄は世界で最も深い場所にあるかも知れないというので、私たちは大興奮だった。地下鉄に乗ると言っても、復興駅から栄光駅までの一駅区間だけだ。実際に北朝鮮人以外の人がこの2駅以外に行ったというのを聞いたことが無い。もし誰か行った人がいたら教えて!

Subway in Pyongyang

下りエスカレーターに乗りながら、緊張が隠せない。平壌の地下鉄は、軍事目的で作られたということと、政府専用の多くの秘密路線があるのを知っていたからだ。通勤用に多くの人が利用する一般用路線は2つある。

Escalators in Pyongyang Subway

下の写真でこの2路線が確認出来る。千里馬(千里马、韓国のペガサスの意味)と革新という。平壌の地下鉄の詳細をもっと知りたければ格好のウェブサイト がある。東京の地下鉄路線図とは随分違って、ここのはとってもシンプルだ。行き先のボタンを押すと、ルートが点灯する。

Map of Pyongyang Metro

驚くことではないが、ここで使用されている列車は中国から買ったもので、長春の自動車会社(长春汽车厂)が作っている。私たち中国人は、北朝鮮人のような慎重派ではないので、ピョンピャンで建設されていた秘密路線の可能性はすぐに世界に知れてしまったが、それでもこれら路線の詳細は謎に包まれている。

Fisheye in the Pyongyang Subway

この軍事用の政府路線の上に、平壌地下鉄を建設することも考えられている。これが地下100メートルほどの深さにある事実を考えると、もしも大規模破壊が起こった場合に格好の避難場所となる。とはいっても、一般的に北朝鮮が示す数字というのを、100%鵜呑みにしてはいけない。したがって、地下鉄の本当の長さや深さは、想像に任せるしかない。

Revolution in the Pyongyang Metro

その上、平壌地下鉄には地下中央広場があり、駅間を結ぶ道路さえあるらしい。軍の武器や、通信指令センターも、その地下広場にあるという。平壌地下迷路の都市探検を想像するとワクワクする!

Pyongyang Metro Escalator

暗いトンネルの中の謎めいた時間のツアー後は、また地上に戻って、リッチでおしゃれな施設を、北朝鮮の人々と喜び合うことにしよう。下の写真は、泳いだり、美容院に行ったり出来る、蒼光(Changgwang)複合健康施設だ。女性用美容室と男性用は分かれている。

Haircut in Pyongyang

こんなファッショナブルなヘアスタイルから選べるようになっている。非常に簡単明瞭だ。ここの写真にのっている以外のスタイルを頼んだらどうなるんだろう。どんな人たちがここに来れる階級なのかはわからないが、若い人は一人もいなかった。

Haircut Styles in Pyongyang

でも、すぐに若い子たちがどこに行くのがわかった。プールだ。ここでは、多くの若い子たちが、飛び込みやシンクロナイズドスイミングを一生懸命練習している。どうやら、親愛なる金日成(キム·イルソン)主席の生誕100周年記念で披露するためらしい。コーチが棒で数を数えながら何かを叫ぶのに合わせて、10代の少女たちが水中で機械的に踊っていた。

Pyongyang Olympic Swimming Pool

こんな若い女子でさえ、大祝賀会に貢献する決意に溢れている。これは、色とりどりの浮き輪を使っての踊りにのぞむ少女たちの写真だ。私も、金正日氏が、水泳とシャワーは若者の健康にとても良いとおっしゃっていたのを覚えている。ここを車で去る時に、外に、泳ぎに来た人たちの長蛇の列が出来ているのを見た。この人たちはどこで泳ぐのか不思議でならない。私たちが見学した場所は明らかに一般用ではなかったのに。。。

その日、後から我々のホテルのプールに泳ぎに行ってみた。渡された、公衆用の水着着用を強制された。北朝鮮人スタッフは、私用にピンクの花柄水着を選んだが、完全に濡れてた。プールに入っている間、監視員がずっと水際で私たちを見張っていた。しかし、この監視員がつけている名称とは裏腹に、万が一に備えて救助するために、見張っているのではないことは明らかだ。

Swimming Girls in Pyongyang

もっと真剣なこともしよう。前の投稿で何度も話に出た有名な人民大学習堂にまた戻って来た 。中も外と同じ位豪華で、中では実際に人が勉強していた。

Main Hall of the Pyongyang People's Study Palace

歴史上最も偉大な2人の指導者の写真に向かって、人々が静かに勉学に励む勉強室の数々を見せられた。それぞれの部屋には花が飾られていた。私たちが入室しても、誰も振り返ったりしなかった。きっとものすごく興味深いものを学んでいるに違いない。

Classroom in Pyongyang

ここは一般に開放されていて、勉強したい人が自由に来て使えるようになっているという。北朝鮮の人々のためになるように、一般向けの講義や授業も行われている。ドイツ語、英語、ロシア語などの語学コースも数多く提供されているが、フランス語はなかった。無料講義の1つだと思われる英語の講義を受けてみた。教室は一杯で、マイクを持って前に立つ先生に、皆熱心に聞き入っていた。クラスの雰囲気はまさに中国の「新しい東洋」の授業のようだった。

dprk, north korea

dprk, north korea

コンピューターの部屋では典型的なことが起こった。上の写真でわかるように、この真っ白な部屋でコンピュータの技術を練習している。誰でも、自由にインターネットを閲覧することができますと、私たちのガイドが誇らしげに言った。さらに、ガイドはインターネット接続状況を私たちに見せようとしたが、いきなり接続失敗に終わってしまい、その説明半ばにして続きが出なくなってしまった。

音楽室もあったが、延々と続くCDプレーヤーの列が並ぶだけで、人はいなかった。若くてエネルギッシュなガイドは、先ほど起こったインターネット事件にもめげずに、急いで他のスタッフに、フランス語と中国語の歌のCDを持ってくるようにと言った。フランス語のは完全にノーマルだったので驚いた。バーバラというこの歌手は、ジョーディのお気に入りで、この特定のCDは知らなかったけれどカラオケが出来そうな勢いだった。中国語のはぱっとしなかった。中国の古い共産主義の歌を、北朝鮮人女性歌手が歌っていた。母国語のはずなのにほとんど何を言っているのかわからなかった。

Music in Pyongyang

最後に、市街を良く見渡せる屋上に上がった。すべてが活気に満ちているように見える。車が少ないので、いつも通り人々は道の真ん中を歩いている。車が一杯の道路に慣れている私たちにとっては、人々が道の真ん中に向かって動いているのを見ると、何か起こっているのではないかと思ってしまう。こう言う光景が起こりえるのは、ゾンビゲームでしかない。

Roof of People's Study Palace

つぎに行ったのは、平壌産科病院だ!どうして、もっと一般的な病院でなく、産科病院を一般向けに見せているのか、いつも不思議に思っていた。北朝鮮人はあまり病気にかからない上、虚弱者や病人は遠隔の島に送られてしまうということを忘れていた

病院に着くと、外には花を持った人たちがたくさん待っているのを見かけた。この人たちは、生まれた赤ちゃんとその母親を迎えに来た人たちなのだと、ガイドが嬉しそうに言った。

dprk, north korea

dprk, north korea

どうしてだかわからないが、この産科病院に私たちと一緒に入るのに、男性ガイドが選ばれた。彼は若くて恥ずかしがりやだ。きっと彼女もいないと思う。そういうわけで、通訳したり、説明したりするのにいちいち真っ赤になっていた。しかし、ラッキーなことに、とてもかわいい北朝鮮人看護婦が彼を手伝ってあげていた。かなり嬉しかったようで、エレベーターの中でガイドは彼女の電話番号をきいていた(少なくとも、もし彼女が妊娠した場合はここなら便利だ)!!

Baby-friendly maternity hospital

病院に入る時には、スリッパに履き替え(日本と同じ)医師のような白衣を着せられた。こんなものを着たのは初めてだ。そして、この病院は赤ちゃんに優しいというが、、、普通そうでしょ?

Breastfeeding in Pyongyang

この病院はきれいで良い感じだ。救急に多くの人が来たりという感じではない。ここに入院中の女性たちは快適で幸せそうだ。そして、すべてのアジア諸国と同じように、ここでも母乳育児を推奨している。多分二大指導者もそういったのだろう。

Kim Il-sung and Kim Jong-il together looking towards the bright future

金日成主席は双子や三つ子は国の繁栄のための幸運の印だとの啓示を受けたに違いない。三つ子を出産したときに授けられる贈り物が下に写真に載せられている。

訪問の最後のほうで、この病院の院長クラスの人物と会って、私たちの訪問について話す機会があった。しかし本当の目的は、この病院の紹介CDを売りつけたかったのだ。北朝鮮女性の80%は、誰の助けも借りずに分娩をすることが出来ると彼は語った。

Maternity Presents in Pyongyang

院長は、私たちに子供が生まれることになったら是非ここで出産するようにと勧めてくれた。そんな暖かいお言葉をいただき、非常に喜ばしく思った。しかし、CDを買いたくはなかったので、辞退してそのまま病院ツアーを続けた。

ここに写っているのは太陽光線ベッドで、ちょっと体力の落ちている妊婦用だと言う。病室のほうにも行くことが出来、そこに滞在していた出産したばかりのママたちとその赤ちゃんにも会うことが出来た。二組とも今日退院予定で、とても満足そうだった。

UV Machine in Pyongyang

North-korean babies

ごく最近、中国が平壌でスーパーを開店したのだが、私たちが通りかかった時には閉まっていたようだった。今度は有名なデパートに行ってみたら、中にこのスーパーがあった。ここのモールをみると、普通は人々はここで買い物をしていないのがわかる。それぞれの場所のレイアウトは、70年代とか80年代みたいだ。

予想はしていたが、ほとんどのものは中国からの輸入だ。しかし、富裕層はヨーロッパからの輸入品しか使わないらしい。私は髪をまとめるためのゴムを探していたのだが、見つからなかった。モールのこの辺りは、日本の100円ショップにとても似ている。唯一の違いは、すべての値段が3−4倍することだ。

Shopping Mall in Pyongyang

私たちの昼食は、国連事務所向かいの鍋レストランだった。窓の外に翻る資本主義の旗を見て、妙な安堵感を覚えた。なぜか、ここの食事なら安全で美味しそうだと思った。中国や日本の鍋物とそんなに違わないのがわかるだろう。湯を沸かしてから韓国風ソースを入れ、その後材料をすべて鍋に投入。面白いのは、この鍋にたくさんの柔らかいケーキやパンがついてくることだ。私はあえてケーキやパンには手を付けなかった。フュージョン料理は確かに世界中で広まっている。

Food in Pyonyang

午後、ジョディのリクエストで、平壌サーカスの曲芸ショーを見に行った。平壌は小さいのに、複数のサーカスが存在し地元民(特に軍人)を楽しませている。中国で育った私としては、曲芸は別にめずらしくない。しかし、これは違っていた。こんなに何度も曲芸をする人々が失敗するのを見たのは初めてで、しまいには、この若い子たちが気の毒に思えて来た。

サーカスは非常に新しく近代的な建物で行われていたが、死ぬほど寒かった。ショーが始まったのは遅く、開始を待っている間に入って来たのはほとんどが軍人と子供たちで、みんな振り返って私たちを見ていた。ショーの間、初めは失敗する回数を数えていたが、成功するほうが珍しかったので、数えるのを止めた。

Pyongyang Circus

登場する曲芸師には、見るほうの私がずっと緊張しっぱなしだったが、小さな黒熊と犬がステージに登場したのはとっても楽しかった。多分ショーで一番気に入った部分だ。すべてが終了した後、私たちが先に出るまで、皆待たなければならなかった。そうしないと、若くエネルギーに溢れた若い北朝鮮人にもみくちゃにされるからだ。考えてみると、私たちは一人20ユーロもこのショーを見るのに払ったのだから、先に出させてもらうのは当然かも知れない。:P

寒い劇場から出てくると、外の太陽が心地よかった。バンに乗り込み、今度は映画スタジオに行って、午後の散歩を楽しむことにする。ここは親愛なる指導者金正日氏が頻繁に(100回以上、北朝鮮の数字によれば)訪れたという場所だ。氏が映画ファンであることを考えれば、もっともな場所だ。CNNによれば 、金正日氏ののお気に入りの映画は「風と共に去りぬ」で、お気に入りの女優エリザベス·テイラーだという。それに、氏はコニャックとフォアグラが好物だという。実に普通の人のようだ。

Gymnast in Pyonyang

Calpis in Pyongyang

1950ー60年代の日本地区を歩いていると、ガイドがどんな映画が好きかと聞いて来た。絶対に北朝鮮にはないタイプのものを言ってやろうと思った。ロマンチックなラブストーリー。するとガイドは、北朝鮮では子供と大人が一緒に楽しめないような映画はないと、誇らしげに言い放った。恥ずかしいとか不適切な内容は全く無いというわけだ。彼の好きな種類の映画は歴史物らしい。

Cameraman at Pyongyang Film Studios

50年代の日本の町の後には、古い韓国の町並みや、ヨーロッパの街、中華街などが並んでいた。わざわざ写真に撮るには普通過ぎるくらいだ。必要に応じて、いつでも新しい建物を建てられるという。親愛なる指導者の100周年を記念して新しい建物をたてまくるのと同じ方法なのだろう。

Film Studios in Pyongyang

Horse in Pyongyang

今、歴史的スポットに立っている。金正日氏は、ここに立って景色を楽しんだり、この道の長さを想像したりしたそうだ。その上「ダチョウ」の道という名前まで自分でつけた。気をつけて。道の両側あちこちにダチョウがいる。そう、有名なダチョウ農園の中にいるのだ!ダチョウの肉は北朝鮮人の食物となり(我々外国人は食べるチャンスがなかった)、羽や高価な皮は輸出され外貨を稼ぐ。

Ostriches Road, Pyongyang.

私たちのガイドは、ダチョウ飼育技術開発について、誇らしげに語った。初めの頃は、平壌の寒い気候にダチョウは馴染めず調子があまり良くなかった。しかしすぐに氏は、こんな異国の鳥を飼育するには適切な技術を開発する必要があると指摘した。この指示を受け、すぐに寒さから鳥を救うための新技術が開発されたというわけだ。

これが、ダチョウのクローズアップ写真だが、暖かくしておくためにどんな技術が使われているかわかるだろうか?目には見えないようだ。ダチョウにきけば良かった、、、

Ostriches Farm in Pyongyang

ああ、遂に愛国心のレッスンだ。私が幼かった頃の中国みたいだ。あなたは今見ているのは、プエブロというアメリカのスパイ船だ。これは1968年1月23日に勇敢な北朝鮮軍によって捕らえられた。ここ以降は、2つの見方があるので、アメリカの見解を読みたい人はこの公式サイト でどうぞ。

The Pueblo in Pyongyang

とはいえ、今の私たちにはどちら側を選ぶかという選択肢は全く無い。真っ暗な船内に閉じ込められ、武装した北朝鮮兵士に監視されている。そして今度は、凍り付くような寒い部屋に座って、プエブロの歴史ビデオを見る。あまりの寒さで集中出来なかったが、話の大筋は操業中のアメリカのスパイ船を捕らえたというものだ。恥知らずなアメリカ政府が嘘をつき続け、この船はただの調査船だと言っておきながら、最後にはスパイ船だったことを認め、投獄されていたアメリカ人を本国に帰したという話だ。

Deciphering in the Pueblo Ship

夜になって、この不気味に照らし出された街の写真を撮る最後の機会となった。凍り付いている窓を拭いた。部屋から撮った写真はなかなかの出来映えだった。

Kim-Jong il in Pyongyang

昨晩、おなかを壊してベッドに横たわりながら、このままでは飛行機に乗れないのではと心配すると同時に、すぐに平壌での冒険が恋しくなるだろうと気づき始めていた。結局のところ、北朝鮮ほど閉鎖的でナイーブな国は他にはないのだから。

The Lights are On at the People's Study Palace

People's Study Palace by night

朝になり、うちに帰って自分の柔らかなベッドで寝ることや、母があっという間に作ってくれる清潔な食事のことを考えて、どうにか気分を奮い立たせて、スーツケースをひっぱって階下に降りて行った。空港までの道のりはそう遠くないので、トーストを食べて、胃を落ち着かせようと試みた。普通、空港で書かなくてはならない数々の書類等はここでは簡単に済まされる。なんといっても空港全体が校庭くらいの広さしかないのだ。

下の写真を見てもらうと、もう写真をチェックされたりすることから逃れられる私たちの嬉しそうな様子がわかるだろう。手には北朝鮮プロパガンダポスターをもっているが。他の2人?この2人が、私たちのガイドで、私たちのお世話が終わって嬉しいのだと思う。

Tour Guides in Pyongyang

とても小さなロシアの飛行機に乗っている。我々はまだ偉大なる指導者金正日氏の権力下にいる。でも、その権力も薄らいで来たように感じる。もうその国を後にしているのだから。

Kim Jong-il Is Not Dead

北京に降り立った時に私が経験したショックは想像出来ないと思う。50年前に戻った時間旅行は、帰って来てからのほうがもっとショッキングなのだ。

Pyongyang from the plane

到着後、一番初めにしたことは、KFCでおいしいチキンバーガーを食べたことだ。この4日間の後、再び帝国主義のパワーを感じるのはとても嬉しかった。北京のいたるところにある広告を眺めながら、北朝鮮人が海外旅行した後に、自分たちの国に戻ることが出来るというのが理解不可能だと思った。北朝鮮万歳!もしまだ30年後も今のままあの国が残っていることが出来れば、また是非訪れたいと思う!

そして、日本に関するすばらしいコンテンツをもっと見るには、Jordy Meow をインスタグラムでフォローしてください! 🎵

commentaires

はじめまして

Jordy Meow

私は日本在住のフランスの写真家のJordy Meowと申します。私は日本に来たり日本に滞在する外国人のために、風変わりであまり有名でない場所の情報を見つけたりシェアしたいと思っています。私は書籍を出版したこともございますし、現在は綺麗なガイドブックのシリーズを新たに準備しているところです。