仙台で何をする?

仙台で何をする?

更新 2026年10月

仙台は東北でいちばん大きな街なのに、ほとんど誰も降りない。新幹線を乗り換えて、松島へ、あるいは蔵王のゲレンデへと急ぎ、街は窓の外を流れていく。もったいないことだが、気持ちはわかる。仙台は第一印象で何かを差し出してくる街ではない。1945年に焼け野原になり、広くて並木の美しい大通りの街として生まれ変わった。そして、この街のいちばん強いものは、中心部にも、店先にもない。

それは、まるで正反対の二つの場所にある。杉の丘の上の金色の霊屋と、海が返したままの姿で残された小学校だ。外国人の僕にとって、仙台とはこの二つのあいだにある街だった。

独眼竜がつくった、若い街

仙台には京都のような千年の歴史はない。街を開いたのは1600年ごろ、伊達政宗だ。幼いころに疱瘡で片目を失い、それを補って余りある野心を持っていた。1613年にはローマまで使節を送っている。北の大名としては、どう考えても普通ではない。

街にはその性格がそのまま出ている。まっすぐに引かれ、大きく構想され、いつも中央の権力から少し距離を置いている。杜の都という呼び名は観光のキャッチコピーではない。大通りには欅が植えられ、その枝は車道の上で重なり合っている。

瑞鳳殿、杉の先の金色

Le mausolée de Date Masamune sous les cèdres, en papier découpé

政宗は1636年、七十歳で亡くなった。翌年、遺言どおり経ヶ峯に霊屋が建てられる。それが瑞鳳殿だ。黒漆、金箔、彩色彫刻。桃山の過剰さのすべてが、石段の上の小さな建物ひとつに凝縮されている。

1931年に国宝に指定され、1945年、街とともに焼けた。いま訪れるのは1979年の再建で、寸法も装飾も元のとおりだ。

再建だからと素通りする人もいる。僕はそれを、話の核心を外していると思う。日本では、元のとおりに建て直された建物はコピーではなく、続きなのだ。ヨーロッパの石の文化から来た目には、これがいちばん新鮮に映る。それに、杉木立の下を上っていく石段だけでも、来る価値がある。

荒浜小学校、海が残していったもの

中心部から十五キロほど、海辺に、誰もいない小学校がある。2011年3月11日、荒浜小学校は地区の指定避難所だった。子ども、先生、住民、三百二十人がそこへ上がった。津波は二階まで達した。全員が屋上から救助された。

周りの集落は、消えた。七百軒の家。再建はされなかった。いまは災害危険区域で、草原の中に、かつての道筋がまだうっすらと見える。

学校は残された。一階と二階は被災したままの姿で、壁は剥がれ、天井はねじれ、教室は外に向かって開いている。水が届かなかった四階では、震災前の荒浜の暮らしと、あの日の一日が語られている。入館は無料。9時半から16時、月曜と第4木曜は休館だ。

観光のついでに寄る場所ではない。それでも、仙台で一か所だけ選ぶなら、僕はここを選ぶ。日本に住んで長いが、あの日のことをこれほど静かに、正確に伝えてくる場所を、ほかに知らない。

L ecole d Arahama et son pin solitaire face a la mer, en papier decoupe

牛タン、1948年の発明

Le plateau de langue de bœuf grillée, en papier découpé

牛タンは古い料理ではない。生まれたのは1948年ごろの仙台、何ひとつ捨てられない、腹を空かせた時代だ。佐野啓四郎という料理人が、誰も欲しがらなかった部位、牛の舌に目をつけ、二年ほどかけておいしく食べる方法を探した。答えは、厚切り、塩、寝かせ、そして炭火でじっくり焼くこと。

その店、味太助は今もある。タン、麦飯、テールスープ、味噌漬け。この型は街じゅうで同じになった。カウンターで二十分。とてもおいしい。外から来た僕が面白いと思うのは、味そのものより、戦後の一人の料理人の工夫が、そのまま街の名物になったという話のほうだ。

もうひとつの名物、ずんだ。あの信じがたい緑色に最初は驚くが、そのうち手が止まらなくなる。

定禅寺通、街をつくる大通り

仙台に柔らかな中心があるとすれば、この通りだ。四列の欅、歩ける中央分離帯、無造作に置かれた彫刻。夏は木陰が深く、隣の車道より何度も涼しい。

街が集まるのもここだ。九月のジャズフェスティバル、十二月の光のページェント、七夕の屋台。それ以外の季節には、なぜ仙台が杜の都と呼ばれるのかが、ただ歩くだけでわかる場所になる。

七夕、街が紙に覆われる三日間

Les décorations géantes de Tanabata, en papier découpé

仙台七夕まつりは日本最大の七夕で、政宗の時代までさかのぼる。日程は1948年から8月6日から8日に固定されている。旧暦に合わせて、新暦の七夕からひと月遅れだ。

あれは飾りではない。高さ数メートルの紙の構造物で、商店街のアーケードに吊るされ、店の人たちが何か月もかけて手で作り、毎年審査される。その下を歩くと、クラゲの森の中にいるようだ。

三日間で二百万人。人混みが苦手なら、この週ではない。日本の街がまるごと変身するところを見たいなら、まさにこれだ。

まわりにあるもの、仙台を拠点にする理由

La baie de Matsushima et ses îlots de pins, en papier découpé

仙台が本当に意味を持つのは、ここからだ。目的地というより拠点で、その場所がとてもいい。

電車で三十分の松島、二百六十の松の小島が散る湾。十七世紀から日本三景のひとつに数えられている。二月の蔵王の樹氷、隣の県の銀山温泉の雪景色。そして一時間とかからない秋保や作並の温泉で、東北を離れずに宿に泊まれる。

いつ行くか

蔵王の雪が目当てなら二月。人混みを覚悟で七夕なら八月の初め。紅葉と静かな街なら十月と十一月。灰色で湿った六月は避けたい。荒浜へは、地下鉄東西線の終点、荒井駅からバスが出ている。

外国人の目に映る仙台

外国人の友人に「最初の日本旅行で仙台へ行くべきか」と聞かれたら、正直に「いいえ」と答える。ほかに見るべきものが多すぎる。

でも二度目なら、迷わず「行って」と言う。東京でも京都でもない日本の都市。観光客がいなくてもまったく困らない、百万人の地方都市。そして、長く忘れられない海辺の場所。新幹線の窓から眺めるだけの街にしておくのは、日本人にとっても、きっともったいない。

東北をもう少し歩くなら、蔵王キツネ村と、裏磐梯の五色沼もどうぞ。