東京の人口密集率が高い地域に軍事基地の廃墟があるなんて想像出来るだろうか?イエスと言うしかない証拠に、かなりの数の廃墟があるのだ!その一カ所にはとても奇妙な物がある:2機の巨大なパラボラアンテナだ!それを覗きに行きたいという衝動を抑えるのは困難を極める。
この基地は厳重保護されている。鋭く高いフェンスがまわりをしっかり囲んでおり、入れそうな場所等まるで無い。何カ所もの場所では警備員のパトロールも行われている。住宅街のど真ん中にあるので、不法侵入者がいないかまわりの住人がいつも目を光らせている(住人が貼った警告の張り紙がそこら中にあった)。その上、中にある現在も使用されている通信塔の警備のため時々車の出入りもある。
これは基地全体の地図だ。廃墟になっている部分は上部の部分だが、在日米軍が現在も使用している通信塔が赤で示されているのがわかる。パラボラアンテナはそのすぐ上の部分だ(すぐ上の2つのグレーの長方形部分)。
- Base boundary line (USFJ exclusive use area): 基地の境界線(在日米軍の専用使用区域)
- Facilities to be retained by USFJ: 在日米軍が保持する施設
- USFJ – JSDF joint use facilities: 在日米軍及び日本国自衛隊の共同使用施設
- Previousely released area: 返還された区域
- Gate: ゲート
- JASDF area: 日本国自衛隊の区域
府中航空基地廃墟は、侵入するには確実に一番やばいところだ:錆びたバリアで厳重に囲まれていて危険であること。さらに、いったん中に入れたとしても、警備と府中の住民の監視下に置かれているので行動するのが困難なこと(警備をサポートするために、自分で三脚までたてて見張っている住人さえいる)。「盗賊」を捕まえること自体に楽しみを覚えているのだろう。だから、この廃墟に自分でやみくもに侵入しないように!
でも、中を覗ける機会に恵まれたので、紹介する。
部屋は非常に簡素なもので、今ではグラフィティで埋め尽くされていたが、それがまたこの廃墟に味を出していた。ここにはこれといって特別なものは無かったが、軍事基地だったという背景と壁のグラフィティが一緒になって面白い雰囲気を作り出していた。
この建物はあのアンテナの至近距離にある。通信設備はここにあるのか?
いや、どうも寮みたいだ。1964年の東京オリンピックの時にこの基地が利用されたというのだが、いったいどの部分だろう?当時はまだ使われていたと思われるパラボラアンテナのすぐ隣で選手たちは暮らしたのだろうか?
実はこの建物はグラフィティアーティストの遊び場になっていた。部屋は洋式と和式トイレを使っている「C」人間で埋め尽くされていた。一人だけ際立っていたのは上の写真にある入り口のところに描かれた奴で、こいつだけ髪の毛があるし、「C」ではなく「W」と書かれている。いったいこの絵は何を意味するのだろう?
一階に描かれているグラフィティはスタイルが違う。シンプルな要素で成り立っているが、相変わらず興味をそそる絵だ。この絵が何を意味するのか知りたいものだ。
今度はコミカルな小さな猿が次々と降りてくる。全員がそれぞれ同じもので遊んでる。うまく描いてるな。
遂に見つけた!ここが巨大パラボラアンテナの制御室だ。
基地のこの部分はアメリカ第5空軍の「通信班」が使っていた。実際に使用された期間は比較的短かったが(1956 – 1973)ベトナム戦争前期にはアメリカ空軍の通信に大きく貢献していた。「暗号解読及び自動音声通信網(AUTOVON)」(万が一核攻撃を受けた場合のアメリカの緊急用電話システム)なども設けられ、重要性も高まった。
下の写真はこの巨大パラボラアンテナの電源(および信号増幅器)だ。下の方に写っているのは、通信を開始するためのスイッチではないかと思うのだが、あくまで推測である。
ここには他にもオフィスが2つあり、そこにはパラボラアンテナ関連の図解付き書類や記録帳があった。暇つぶし用の漫画まであった。
この2機の巨大パラボラは13メートルもの高さがあり、東北にある三沢基地とのラジオ交信専用に使用されていた。通信は対流圏散乱を使っていた。(Wikipediaで対流圏散乱を読む)
「視界」での制限を避けるために、対流圏散乱(高度11キロほどにある大気層)でラジオ波を受信して調整していた。この通信センターは「日本トロポスキャッターシステム」の一部になっていた。
その結果、このシステムではごく少数のターミナルを使うだけで、沖縄から北海道間のラジオ通信で出来た。
通信システムに興味がある人向けだが、三沢基地にはAN/FLR-9アンテナがある。「アイロン・ホース」と呼ばれるグローバル・ネットワーク上で行われる高周波通信を傍受出来るアンテナを円形にしたものだ。このFLR−9は冷戦下で、トロージャンの馬用秘密の隠しドアの役割をしていたのだ!
達成感でいっぱいだ。軍艦島と奈良ドリームランドに次いで、私を一番魅了したのはここだ!これからさらに、この基地のことを知り、パラボラアンテナの古い写真も探そうと思う。それと例のグラフィティのアーティストと成り立ちも是非知りたい!
そして、日本に関するすばらしいコンテンツをもっと見るには、Jordy Meow をインスタグラムでフォローしてください! 🎵
ジョディー様
初めまして。わたくし廃墟や廃坑などが好きで
写真と記憶に収めております、とみ
と申します。
今回、大急ぎでコメントさせていただくため
乱筆で申し訳ありません。
府中トロポサイトですが、12/30日をもちまして
見納めとなりそうです。
本日、写真を撮りに行ったところ
9月の中頃より、解体工事が進んでいることを知りました。
アーティスティックな壁も何もかも取り壊されてしまいそうです。
もしお時間が合えば、最後の姿を一緒に撮りに行きませんか?
いきなりのコメントで申し訳ありません。
Hi! Sorry about the reply in English. It takes me too long to reply in Japanese 🙂 Can you send me a little message through this link? Here: http://jordymeow.jp/about/. Let’s talk 🙂
5
0.5
1.5
4.5