摩耶ホテル(マヤカン)は廃拠ファンにとって人気の場所のひとつだ。大勢の人が様々な目的でここを訪れた、時にはどうでもよいことの為にね、でもとりわけいろんなジャンルの写真を撮るための訪問者が多い。それじゃあ、摩耶ホテルの歴史からちょっと紹介して、この場所のミステリアスな部分は何なのかを解明していくことにしよう。
ミッション1:知られざる道を探すこと!
ケーブルカーでしかここのホテルに行けないなんておかしくないかい?歩いて登っていくには結構危険だって話を聞いたけど・・・僕等のプランからするとケーブルカーはあまりに平凡すぎるし、なんていったって楽すぎる:)
でも摩耶ケーブルカーに到着するとちょっとしたハプニングがあった。そのケーブルカーは現在修復中!だから結局危険なハイキングをして辿りつく方法しかない。その日の神戸は冬のとっても天気の良い日だったから、そんなに悪い選択じゃないよな。
山の地図を手に入れたあと、僕等はハイキングコースに向かう。でもその道は全然行き先に辿りつけない。そこでいったんストップしてハイキングしてる人(たぶん廃拠探検を目的として来てる人みたいだ)に道を聞いてみる、彼は立ち入り禁止と書かれた看板のある道を通っていかなきゃいけないんだよと教えてくれた。ムムム、そりゃそうだ!
今度はかなり這い登らなくちゃならない感じ、でも少なくとも今度こそは廃拠ホテルへの正しい方向に向かっている自信がある。この記事の最初の写真でロープがあるでしょ、登るときも降りる時も道に沢山これがあるんだ!実はこのロープはかなり有難いもので僕等が転倒する度に何度も救ってくれたんだ。
歴史的に摩耶ホテルはケーブルカー以外で辿りつく方法はない。摩耶ホテルはケーブル会社の利益のために建てたれたんだ、ケーブルカーが開通してから4年後くらいにね。摩耶山の頂上に行くバスが通る一本の道はあるけど、そのバスはすべてその終点駅である星の駅にしか止まらない・・・でも摩耶ホテルには実は別の停車駅があって、そこはケーブルカーの線路のど真ん中にあるんだ。だから他のアクセスが唯一あるとしたらそれはハイキングコースだけなんだ。
摩耶ホテルは1929年に営業を開始したがそんなに長くは続いていない。もっとも客を集めていた時期、第二次世界大戦時中で空襲による被害を受け、その後は数々の被害にみまわれた(とりわけ台風のね)。その後1995年、神戸の大地震で激しく損傷を受けた。神戸地震以前、ホテルは修復されて再営業したが、幾度と開閉が繰り返された、だから多くの収益を得ることはなかった。15年間もの間完全に放置されてた時代もあるんだ、第二次世界大戦のちょうど後なんだけど。そのため、かれこれもう20年近く放置されてることになる、でもこの廃拠はこれからも随分長い間残っているんだろうな、山のがけ崩れでも起きない限り。
ミッション2:B29のタイヤの謎
廃拠の共有スペース、マヤカンの屋上にあるB29のタイヤのことは誰もが知っている。2002年に撮られた写真を探してみると、屋根に突き刺さるこのタイヤがみれるよ。このタイヤは第二次世界大戦中の爆撃機のものだというふうに言う人もいるけれど、正直言って戦闘機のタイヤだけが落っこちるなんてそんな偶然あるのかな。その上、摩耶ホテルは第二次世界大戦後に使用されたんだよ、学生センターとして使用されたのだって90年代に入ってからだ。この期間ずっと屋根の上に残ってるなんてありえないだろ?でもさ、こんなタイヤがホテルの内部にあることの正当な理由を見つけることだって難しいよ;) でも日本人の探検家たちによってこのミステリーはついに解明されたんだ!
僕等と同じように廃拠を探検する人の色んな記事を読んだ後にさ、純粋に装飾目的で建物の上階に持って来られたということがわかった。タイヤのアールデコ?でもそれっていったい何?そういうわけで僕はタイヤが写っているホテルの古い写真を探した。
このビデオを見つけた時、僕は相当がっかりしてしまった。さあ、ボリュームを最大限にして聞いてみようじゃないか!
httpv://www.youtube.com/watch?v=kzBypO5Cuq8
タイヤ、ご覧になったかい?;)このビデオの音楽と80年代の雰囲気は好きなんだけどね。この音楽にワクワクしてしまう君達へ、このグループは“アクション”という名前で、「夢見る頃過ぎて」の一曲だよ。
このタイヤが本当にB29から落っこちてきたものだと信じている人たちよ、ごめんね;) このタイヤはデコレーションのためにそこに置かれたってことは明らかだし、屋根の上にも同様に固定されたんだ。たぶん地震によって落下したんだろう。というわけで、ミッション2は解決だ、いいよね?;)
ミッション3 : 緑の部屋は何だったのか?
ここは緑の部屋という摩耶ホテルのシンボル的な部屋だ。この廃拠ホテルを訪れるすべての写真家が必ず行く場所だ、それには特別な理由がある。この部屋が何のために使われていたのかっていうのは気になるよね。ここで話す緑の部屋は、この上の写真だよ。この部屋の床はどんどん沈んでしまっている。写真を撮るにはできるだけ近くにいかなきゃいけないんだ、もちろん十分に注意してそこに近づこうという選択肢しか僕等にはないよ。
戦争前、この緑の部屋はレンガで作られた古い浴槽がある風呂場だったようだ。完全に使用不可能、現在は板張りによって覆われていて、くぼんだ穴は腐った木の下に隠されている。落下の可能性は極めて高く落っこちて、怪我して、持ち物も全部ダメにしてしまうことも有りうる。だから、もしここを通過するようなら慎重にね!
さっき話した緑の部屋はどこのことを言っていたのかわかるかな、だって緑の部屋はもうひとつ存在するんだ!もうひとつの緑の部屋は別名ジグザグの部屋とも呼ばれている、紛らわしくないようにね。その部屋はこの下の写真ね、残念なことにこの写真上では緑じゃないね・・・でももっと暑いときには緑に違いない。
ジグザグの部屋はちょっとしたストーリーがあって、それはね、この摩耶ホテルがまだオープンしている70年代に摩耶ホテルに来た探険家によって語られたんだ。この部屋はなんだか異様な雰囲気があるんだよね。エレガントなボルドー色のカーテンが窓辺につけられており、六甲山の綺麗な緑がここから一望できたんだって。信じがたいって?
これらの説明で、ジグザグのお部屋は何に使われていたか当てられる?えっと、摩耶ホテルのチャペルだったんだ。結婚式に使われていたんだよ!日本人はどんな場所にでもチャペルを“建設”する信じられない素質を持っているんだなぁ:) 摩耶ホテルでの結婚式の写真が見つかったらなんて素晴らしいんだ、でもそれはきっと困難だろう。
僕はやっぱりオリジナルの方の緑の部屋のほうが好きだな。陽の差し込む様はとっても美しい、日中のどの時間帯でもね。ここで紹介した写真で、このたぐい稀で魔法にかかったみたいな場所の雰囲気ととっても淋しげでもの悲しい雰囲気の両方が伝わるといいなぁ。摩耶ホテルに関して言えば、もっともっと長くこの山腹に残っていてほしいもんだよ。
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