1960年代の三重県。台風が白石という名の真っ白な鉱山を襲った。巨大な木製の棚は強い風にやられてしまい、その棚に保管されていた石灰粉もくずれて、雨でほとんどが洗い流されてしまった。
台風と探検
半世紀後、ベルギーから二人の勇ましい都市探検家がここを訪れた。そして再び台風が三重県を襲った。軋む木製の部屋の中で、二人はもうこれで死んでしまうのではないかと思った。
幸いにも、建物はつぶれずにすみ、廃墟鉱山が二人を守ってくれたと思った。都市探検家には嬉しい知らせだ!でなければ、素晴らしい都市探検カメラマンを2人も失ってしまうところだったし、この魅力的な廃墟も無くなってしまっていただろう。
我々には、その探検家たちほどの勇気はなかったので、2回目の訪問には快晴の日を選んだ。空には雲一つなく、白石を取り囲む緑の中をハイキングするには最高だ。 木漏れ日が射し込み、横には川が心地よく流れている。瓦礫の上を飛び越えながら、最高の不思議の国のアリスの物語の様な気分になる。
ここには一度来たことがあったので、道筋は良く知っているつもりだった。なのに、行き止まりに入り込んでしまった。でも、道すがらには良い被写体がたくさんあるので、引き返すのも悪くはない。
ミスター・白石
それでは、講義に移ろう!石灰石の粉末を何に使うのか?ほとんどの人は "チョーク"と答えるだろう。なかなかだ。;) チョークは確かに石灰を使っている。ここで、「こんな巨大な鉱山が開くほど、チョークが必要なのか?」と思っているだろう。実際には、石灰粉は、鉄鋼、プラスチック製造、建設業のようなさまざまな業界で使用され、土壌の酸性度を変えたり、汚染物質除去のための中和剤としても使用されるのだ。製紙過程にも石灰が使われる。
この鉱山のことを、探検愛好家は通常「藤原鉱山」や「白石鉱山」と呼んでいるが、正式名称は「白石工業桑名工場」という。ここは1921年にミスター・白石(白石恒二氏)が設立したもので、白石氏は、 "白石式光沈降炭酸カルシウムの製造法"の発明者でもある。白石氏とその兄弟が白石工業 という会社を設立し、石灰岩の需要の高まりとともに成功を収め、現在では世界的規模の会社になっている。
我々は今に立っているこの廃墟は、非常に良く設計された工場なのに、1969年に廃業になったのは残念だ。高いところから見ると、工場全体が山の斜面に沿って建てられているのがわかる。そしてその下には、我々が少し前にそばを通った素敵な川が流れている。
カシャ!カシャ!
山の斜面をうまく利用して、工場全体が重量で動くようになっている。その上、電力が必要な場所では、山頂からの水流利用で発電している。すばらしく環境に優しい!白艶華 という製品がここで初めて作られたもので、これは今でも世界中に輸出されている。
不思議の国散歩
機械的
真っ白
別れ
太陽が落ち始めた。車に戻らなくてはいけない。
ここの探索は、本当に楽しかった。こんな上天気の日なら、いつでもまた来たいと思った。
この日の最後のおまけは、駐車場脇の湧き水だった(この水は本当は湧き水なんかではなく、汚染されているかもしれない、、、。しかし、いつもこの水を汲みに来ている人々が大きな容器をもって列を作っている。味が良く、健康にもいいらしい。多分この工場からのカルシウムが混ざっているからかもしれない :P)。手を洗ってから水をボトルに詰めた。
エンジンをかけたとき、私はすでに白石鉱山を恋しく思った。次ぎにくる時は、夜か、雪の降る頃に来て、違ったタイプの写真を撮ってみたいと思う。
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4.5