Akame 48

赤目四十八滝、緑が落ちてくる

四十八とは数えきれないという意味で、赤い目の牛に乗った神がいて、忍者がいて、山椒の匂いがする両生類がいる。赤目では、森は流れると同時に語ってもいる。

本当に四十八あるのか

名張の山に切れ込んだ渓谷を、約4キロの道が遡っていきます。光の加減で黒くも青緑にも見える水のそば、苔むした岩、シダ、橋、湿った石段。ここは、緑という色がどれだけの階調を持っているかを歩いて確かめる場所です。外国から来た僕には、日本の森は「緑」のひとことで済まされることが多い気がしますが、赤目はその言い方を許してくれません。

数えようとするのは早々にあきらめたほうがいい。四十八という数は「たくさん」を意味することもあれば、法蔵菩薩が阿弥陀仏になる前に立てた四十八願に結びつける読み方もあります。滝には仏の名がつけられ、渓谷全体がひとつの巨大な曼荼羅として思い描かれてきました。赤目では、数を数えることまでが信仰になってしまう。

牛が赤い目をする

赤目という名は、役小角がこの滝のそばで修行していたとき、赤い目の牛に乗った不動明王が現れた、という話に由来すると伝えられます。土地がその一瞬を名前として抱え込んでしまったわけです。歩き、断食し、瞑想し、岩を登り、滝に打たれる。赤目は遊歩道になるずっと前から、そういう場所でした。

渓谷の入口の延寿院には今も赤目不動尊が祀られ、奥へ進むほど名前が物語を引き継いでいきます。不動、大日、行者、千手。仏教が、滝から滝へと滴り落ちていく。

五つの主役、まっすぐな線はひとつもない

数ある滝のうち、不動、千手、布曳、荷担、琵琶の五つが赤目五瀑と呼ばれます。それぞれに動きがあります。千手は岩の上で千手観音の腕のように分かれ、布曳は30メートルを一本の細い白い帯になって落ち、荷担は中央の岩を挟んで二本に割れて天秤棒の両端の荷のように見え、琵琶はその輪郭から名を得ました。

岩は古い火山性の地形が起源で、場所によっては柱状に割れています。あとは水の仕事です。割れ目をたどり、甌穴を穿ち、壁を磨き、淵を満たしてきました。赤目は森に見えて、その設計者は真ん中を流れています。明治の半ばまで、不動滝あたりが人の行ける世界のほぼ終わりでした。その先は分け入らない深い森だった。いまの道はそこを歩けるようにしましたが、渓谷が主導権を手放したわけではありません。

苔の下の忍者

赤目はかつて伊賀に属していました。百地三太夫がこの山を修練の場に使ったという言い伝えがあり、その屋敷跡は渓谷から数キロのところにあるとされます。煙玉も派手な消え方も要りません。滑る岩、急な斜面、冷たい水、影に沈んだ道。それだけで、平衡感覚、持久力、よじ登り、方向感覚、そして音を立てずに動くこと、ひととおり揃ってしまう。

いまの赤目はその出自を観光として引き受けていて、衣装体験も初心者向けの講座もあります。ただ、いちばんいい忍者の舞台装置は無料です。一筋の光、葉の音、そのあとの無音。

山椒の匂いがする怪物

石の下には、もっと目立たない住人がいます。オオサンショウウオ。特別天然記念物のこの巨大な両生類にとって、赤目の冷たく澄んだ水は理想的な棲み処です。春から秋にかけて、運がよければ川で姿を見かけることがあります。

名前の由来は、身の危険を感じたときに発する匂いが山椒に似ているから、と言われます。岩陰にひそむ先史時代の生き物が、ほんのり香辛料の香りがする。赤目は脇役の造形にも手を抜きません。小さい生きもののほうが姿を見せてくれます。トカゲが道を横切り、シダの間に消え、森はまた動かなくなる。オオサンショウウオを間近で見たいなら、入口の赤目の水族館が2024年に改装されています。

結局、いくつだったか

赤目では、水の速度で歩くことになります。落ちて、分かれて、岩の下に消えて、数メートル先でまた現れる。光も同じことをします。木漏れ日がひらき、淵が緑に変わり、道はまた影に潜る。

赤目四十八滝

滝を見に来たはずが、音を追いかけ、石の下の両生類を探し、木の幹の陰に行者か忍者を想像している自分がいます。出口に着いたとき、いくつ滝を見たのかもう言えない。つまり、ちゃんと四十八だったということです。

水と紅葉の谷という意味では、日光の秋の滝も似た時間が流れています。

Instagram

ここにある写真は、すべて自分で撮ったものです。

記事になるのは、撮った写真のごく一部です。残りはほぼ毎日、その場からInstagramに上げています。

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