Abuto Kannon

阿伏兎観音、崖っぷちの祈り

崖に張り付く朱色のお堂、低すぎる手すり、そして壁一面に吊るされた無数の乳房。阿伏兎観音では、船乗りの無事、安産、そして危うい渡りのために祈ります。足元にはすぐ、瀬戸内海。

海を見下ろす祈り

鞆の浦から数キロ、広島県の沼隈半島は瀬戸内海に岩の岬となって突き出しています。その先端に立つのが、磐台寺の観音堂、阿伏兎観音です。伝承では992年の開基とされますが、いま誰もが目を奪われる建物は16世紀末のもの。毛利輝元が1570年から1573年にかけて建立しました。以来、この小さな朱色のお堂は、船乗り、妊婦、若い母親たちを見守り続けています。数平方メートルの岩にしがみつくお寺にしては、ずいぶん手広い担当範囲です。

岸から眺めると、阿伏兎観音は重力に逆らっているように見えます。土台は岬の先端に沿い、崖を延長するような石垣に支えられています。その上でお堂は海へせり出し、狭い渡り廊下で本堂とつながっています。

灯りのない灯台

何世紀ものあいだ、船は瀬戸内の島々の間を縫い、入り組んだ海岸と、時に危険な潮流を進んできました。海から見える阿伏兎観音は、船乗りたちの目印でした。渡る前にここで祈り、無事に戻れば観音様にお礼参りをしたのです。

江戸時代に日本を旅した朝鮮通信使も、ここを訪れた記録を残しています。のちに広重は『六十余州名所図会』にこの景色を描きました。阿伏兎観音は、目的地になる前から、すでに一枚の絵だったのです。

宙へのぼる階段

お堂へは靴を脱ぎ、朱色の屋根に覆われた階段を上ります。短い階段ですが、一段ごとに光が変わります。格子の間に森の緑が見え、やがて海の青が視界を占領します。上にはお堂をぐるりと囲む木の回廊。床はわずかに外へ傾き、岩の上に浮かぶ場所にしては手すりが低すぎます。絶景です。ただし、めまいのおまけ付き。海はすぐ真下。庭も広い境内もなく、お堂と風景の間にはほとんど「間」がありません。回廊は見張り台であり、展望台であり、膝の弱い人への試練でもあります。

壁いっぱいの乳房

海の青のあとに、堂内では一転した光景が待っています。壁を覆うのは、布や綿や木でできた乳房。数十、時に数百の一対が、白く、桃色に、黄色く、丸く、いびつに、あるいは丁寧に綿を詰めて並んでいます。観音様に捧げられた絵馬です。子を授かりたいという願いに添えられたもの、無事な妊娠と出産への祈り、母乳の出を願うもの、そして健康な赤ちゃんの誕生への感謝。

手書きの言葉には、慈悲深い存在にそっと打ち明けられた、とても個人的な不安が綴られています。一対一対が、祈りに来た人の手で作られ、飾られたもの。積み重なった乳房は、布に縫い込まれた身体と不安と希望の、不思議な打ち明け話の壁になっています。

母たちの観音様

阿伏兎観音の専門は時代とともに変わりました。かつては何よりも船乗りを守るお堂でしたが、いまは子授け、安産、授乳の観音様として知られています。

観音は慈悲の化身。苦しみの声を聞き、必要な姿に変わって救いに現れるといいます。阿伏兎では、その慈悲がまっすぐに表現されています。堂内に祀られているのは十一面観音。その多くの顔は、あらゆる方向の苦しみを見守るためのものです。航路を望み、母たちの祈りに囲まれたこの場所は、観音様にとって理想の見張り場なのかもしれません。

危うくて、それでも

阿伏兎観音の魅力は、この向かい合わせにあります。外には光と海とめまい。内には薄闇と、壁に吊るされた無数の祈り。船乗りは無事の帰りを願い、幾世代もの女性たちが、子への願いや出産の恐れ、授乳の悩みを打ち明けてきました。いまにも海へ滑り落ちそうに見えて、それでもお堂は立ち続けています。400年以上、朱色の柱は瀬戸内の青に映え、祈りは積もり続けています。ここでは何もかもが危うい。崖も、お堂も、船の渡りも、命の誕生も。だから手すりにつかまる。あとは観音様にお任せです。

Instagram

ここにある写真は、すべて自分で撮ったものです。

記事になるのは、撮った写真のごく一部です。残りはほぼ毎日、その場からInstagramに上げています。

フォロー @jordymeow
226+ 探検する冒険