Haunting abandoned mining town overtaken by nature.

池島:半ば廃墟となった炭鉱の島

池島は、長崎県の西彼杵半島の西に浮かぶ島。1970年代のピーク時には、1平方キロメートル未満のこの小さな島に、約8,000人もの人々が暮らしていた。

池島

このような辺鄙で狭い場所にこれほどの人口密度があった理由は、炭鉱だった。炭鉱が建設される前、池島は単なる農業と漁業の島だった。

池島

廃坑

池島

忘れられた事務所

もともと島には「鏡ヶ池」という大きな池があり、神功皇后がそこに映った姿を見たという伝説がある。この出来事にちなんで「池島」と呼ばれるようになった。しかし、炭鉱開発により、池は港の建設のため埋め立てられてしまった。

池島の夜

戦後間もない1952年、松島グループが海底炭鉱開発のため、石炭の豊富な土地を取得した。エネルギー革命で業界が衰退していた1959年に採掘が始まった。池島はこの流れに逆らうように急速に拡大した。

空から見た池島!

池島
池島

1990年代までに、鉱山の面積は35,000ヘクタールに達し、坑道の総延長は90キロメートルを超えた。労働者の移動を円滑にするため、会社は最大27人を乗せられる3両編成の列車による高速軌道を整備した。

猫たち、新しい住人

Ikeshima

1980年代の最盛期には、年間150万トンを超える石炭が採掘されていた。

Ikeshima

1950年から1970年にかけて、人口は350人から7,500人以上へと膨れ上がった。近くの端島(軍艦島)と同じように、病院、学校、鉄筋コンクリートの集合住宅が次々と建てられた。家賃はわずか400円ほどで、共同の洗濯場や浴場まで含まれていた。

町を歩く

Ikeshima

1990年代の終わり、相次ぐ事故と輸入炭との価格競争によって、池島の採掘は次第に細っていった。政府の支援策も及ばず、炭鉱は2001年に閉山する。まだ働いていた2,500人の従業員は全員が職を失い、島を離れた。

閉山から18年が経った今も、設備の大半はそのまま残っている。現在はベトナムやインドネシアから来た炭鉱技術者の研修施設として使われているようだ。

池島の廃診療所

今では住人は100人ほど。その多くは引退した炭鉱夫で、この場所の記憶を守り続けている。訪れる者にとっては、これ以上ない語り部だ。

Ikeshima

長崎のもうひとつの炭鉱の島、野外博物館として生き残った軍艦島と、そこで育った坂本道徳さんの思い出もあわせてどうぞ。

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ここにある写真は、すべて自分で撮ったものです。

記事になるのは、撮った写真のごく一部です。残りはほぼ毎日、その場からInstagramに上げています。

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