病院というところはかなりヤバいところだと前々から思っていたが、これが廃墟病院となるとまた全然次元が違う。廃墟病院にはずっと魅力を感じていたが、日本の古いものは別格だ。なにかこう魔力の様な魅惑的な力があって、そこを歩き回ると不思議な現象に出会ったりすることが多々ある。今日は、3つの廃墟病院を紹介しよう。
日窒鉱山ゴーストタウンの病院
埼玉にある日窒は山中にある廃鉱の村である。30数年前に廃鉱になると同時に村もゴーストタウンになった。しかし、家々は全く撤去されておらず、家財道具も残っている。何か大急ぎで去ることになったのか? 電話だってまだつながっている!
たくさんのカラオケマシーン(と大量のカラオケテープ)や、漫画本、数えきれないほどのアダルトビデオやエロ雑誌、大量のガンダムフィギュア、巨大ピカチュー等が残されていた。ここは子供専用の場所だったのか?まあいい、今日はこんなんで来たんじゃない。
病院は日窒村の隅にあり、木に隠れていた。外から見る限りはあまりいい状態ではなさそうだ。一番入りやすそうなところは窓だった。いざ侵入!
中もかなりひどく、床も残っていない様な状態だった。廊下の両側に部屋が配置されていて、そのなかでも一番興味を惹いたのはこの医師の部屋だった。
この部屋には様々や薬剤や人体部分の標本が集められていたが、標本はすでに何なのかわかりづらい状態になっていた。昔は脳のホルマリン漬けもあったらしいが、残念ながら人食い人種が持ち去ってしまっていた。それでもまだかなりの標本瓶が残されており、ワサビを持ってこなかったことが悔やまれた。
これも瓶入り内蔵。鮭の刺身みたいだな
瓶の中身が何であるのかわかれば最高なのだが、耳以外はまるで見当がつかなかった。
レントゲン室や歯科治療室、手術室などの探検を続ける。こんなに荒らされていてもまだ何だったのかの原型をとどめている。
一年の間をおいて、ここを2回訪れたが、その一年の間に人体部分のほとんどは消え失せていた。ここには人々がよく訪れているようで、私が来た時にも毎回他の人も来ていた(アメリカ人旅行者と日本人カップル)。2回目に来た時にはちょっと時間に余裕があったので、フィギュアのハルキとヨーコの撮影会も行った。
去る直前に肺のレントゲン写真を発見!石綿を吸った後でも肺が大丈夫か検査。
これで日窒病院の探検は終わりだ。ここは屈指の廃墟病院で、多くの本やブログに掲載されており、日本のフォーラムでもよく話題に上がっている。特に例の、脳のホルマリン漬け標本が消えた件には興味が尽きないようだ。
幽霊病院
これから紹介する廃墟病院は廃墟の世界でも輝く宝石の様な存在である。ほとんど無名に近く且つ非常に見つけにくいのが、この素晴らしさの秘密かもしれない。私がつけたニックネームは「幽霊病院」だ。
私の数々の廃墟探検の中でも、廃墟病院を訪れるのは最高だ。実際に来るまでは、ここの写真は一枚しか見たことが無かったが、それでも既にかなり興奮した。しかし、遂にその美しい姿を目にした時には静かな興奮に変わった。玄関を入り、小さな待合室にいる。椅子が一脚だけ残されている。完全な闇の中に、正面にドアが一つ見える(検診室)。右手にある小さな窓の向こうは薬局だ。窓の小さな開いた部分から薬をもらったり、支払いをしたりするのだ。裏を見に行こう。
本当に驚いた!薬局は小さな薬瓶で溢れていた。どうも、ここで薬の調合をしていたようである。原料の様なものやわけのわからないものが入った瓶がたくさんあった。
この数々の瓶に入った薬が何なのかを見てみた。例えば、下の左側の写真はコラミンという薬物の過剰摂取に対して使用する覚せい剤だ、、、薬中!既にこの当時、日本人サラリーマンは過労状態だったのか!?
ここは薬剤師の仕事場だ。ところでヨーロッパには「アルプスの馬鹿者」というフレーズがあるのをご存知だろうか?アルプスの山深いところに住む、「頭の悪い」農民のことをさすのだが、実はこの知的発達を妨げていたのがヨード不足だったのだ。だから今日販売されている塩にはたいていヨードが添加されている。もちろん特にアルプスでは必須だ!ここで大量のヨードの瓶を見つけたのだが、それも同じ理由なのだろうか?
この真っ暗闇の部屋の中で写真撮影をするのは並大抵のことではない。手動で焦点を合わせ、三脚を使って長時間露出、懐中電灯をずっと使ったりで電池をあっという間に2本使い切った。でもその甲斐は十分にある。
薬局を後にして、次は検診室へ行った。古い木製のベッド、何か乗り移っていそうな椅子、書類、医師の道具類等のすべてがまだそのまま残っていた。なんと凄いところだろう。我が目を疑うばかりだった。
その奥にはさらに別の部屋があった:医師の個人的な部屋だ。きっとここで秘密の薬を調合していたのだろう。奇妙なことに、脳の様な物体が入った大きな瓶もあった!ひょっとして、これが
日窒から消えた脳の標本か!?本棚には、ドイツ語の本もたくさんあった。日本の医師はドイツ語で学ぶに違いない!19世紀後半、ドイツは日本の近代化(特に医学分野において)に多大な貢献をしている。
この建物は大きく、きっと医師の家族も一緒に住んでいたに違いないと思った。大きなダイニングルーム(素晴らしい仏壇もあった)、台所、2階には寝室、そして、、、幽霊!目に入った時にはマジに飛び上がった!他にも無数の書類や新聞も見つけた。一番新しいもので1962年だった。ということは、ここが廃墟になって50年経つということだ!
この素晴らしい場所を離れる時が来た。次は少しだけモダンな病院を訪れよう。
茨城の廃墟病院
この記事の最後になる、3つめの病院はそれほど古くはない。いや、実際には前出のものと同時代なのかもしれないが、大きな街のど真ん中にあるのだ。病院の入り口は青緑の美しい日本女性が守っている。さあ、探検を始めよう!
ここはいくつかの建物に分かれており、一番新しい建物の入り口には大きな南京錠がついていて、我々の侵入を拒んでいる。古い建物は少し奥にあり、そのうちの一棟は医療学校だ!学校部分は最後にとっておこう
古い方の建物にも錠がかかっていたが、幸運にも簡単に開く窓を見つけた。探検開始だ!しかしすでに日が落ち始めているので、急がなくてはならない。
病院の大廊下は、日本の古い学校みたいだった。それぞれの部屋の入り口に同じ様な小さな札がついている。
この病院自体は、実は新しく建てられた方に移動して、ここには使われなくなった古い医療機器があちこちに放置されていた。
この車いすには背が高くては座れない。右手にいくつか部屋がある。
奇妙な雰囲気だが、同時に興味深くもある。しかし、ほとんどの部屋が元来の状態をとどめていないのは残念だ。そんな中、手術室だけはかろうじて認識出来る状態で、手術台も残っていた。
私の血液の酸素量はどんなもんでしょう?
クライオスタット(低温保持装置)はさらに詳しい検査のために人体組織を低温化するために使用された。完全に暗くなる前に、次の建物に移動する。
医療学校の方にはほとんど何もなく、シンプルなものだった。しかし光の加減が美しく、かびた木の強い臭いが充満していた。ここはすべて見尽くしても10分ほどで終わった。
帰る途中で、小さな人形が我々を見ていた。後ろ髪をひかれたが、この人形がこの廃墟病院の最後の思い出となった。
Did you love those hospitals? Please have a look at my article about countryside clinics in Japan, they are the most beautiful!
If you love haikyo, don’t miss my articles about Gunkanjima and Nara Dreamland, my two favorite ones.
そして、日本に関するすばらしいコンテンツをもっと見るには、Jordy Meow をインスタグラムでフォローしてください! 🎵
コラミンは覚せい剤と記載されていますが、違います。成分名 ピチジンベ-タ-カルボン酸ジエチルアミンであって強心剤、呼吸促進剤です。製造元はスイスのチバ社今のノバルチィスファ-マ社です。カンフル剤と書けば分かりやすいかな。面白がって持ち帰り注射や何かに混ぜて飲まないでね。
コラミンは現在製造中止品目です。自分もこの当時のここの薬剤師だったら調剤の仕事はやりがいが凄くあるなあ。素晴らしい写真です。
コメントありがとうございます。残念ですが、この病院の薬は全部盗まれた。
3.5
0.5
4.5
5
2
1
2.5
4.5