この地を訪れる観光客は、象徴的な渡月橋(月に渡る橋)を渡り、数多くの寺社を巡り、竹林の小径を散策することができる。





一般的に、竹は801年に唐の中国から仏僧によって日本にもたらされたと考えられている(別の説では、鎌倉時代(1192〜1333年)に禅師道元によって伝来したとも言われる)。

平安時代(794〜1185年)、嵯峨天皇は隠居のための山荘「嵯峨院」(後の大覚寺の前身)を計画した。嵯峨野エリアは当時、天皇や皇族の狩猟・遊興の場であった。竹が植えられた正確な理由は不明だが、木材が建築資材(特に庭園用)として広く使われていたため、地元での原材料供給源として竹が植えられたのではないかと推測されている。

竹林や竹の植林地は昭和初期(1926〜1989年)まで嵯峨野の景観の特徴であったが、戦後の急速な都市化により、この地域は完全に姿を変えた。伝説によると、作家の谷崎潤一郎は野宮神社近くの竹林が伐採された際に激怒したという。自然保護を求める運動が高まり、嵯峨野の様々な地域が「伝統的建造物群保存地区」に指定された。





こうして「竹林の道」(竹林の小径)は保存され、現代の観光客を魅了し続けている。この小径は大河内山荘、天龍寺(世界遺産)、野宮神社の間を約500メートルにわたって続いている。あまり知られていないこの由緒ある神道の社は、かつて皇族の若い女性たちが伊勢神宮への奉仕に入る前に身を清めるために訪れた場所だった。11世紀の小説『源氏物語』にも記されているこの神社は、今でも恋愛成就を祈願する若い女性たちに人気がある。






毎年12月、嵐山では「花灯路」(花と光の小径)が開催され、渡月橋周辺と竹林がライトアップされる。小径に沿って設置されたきらめく灯籠は、昼間とは全く異なる幻想的な雰囲気を醸し出す。



嵯峨野の竹林は視覚的な体験だけではない。その音色にも耳を傾けてほしい。京都のもう一つの竹林「洛西」とともに、環境省が選定した「日本の音風景100選」に選ばれている。





