森の中にたたずむこの家は、ヘンゼルとグレーテルの冒険を彷彿とさせる。ただ、残念なことに、この家はお菓子の家ではない。でも魔女とそれにまつわる凄い話があるのかもしれない。ここは、 華麗なる一族の名前で知られるところである。
この家の場所は、ここに残されている数々の工芸品等を保護するために、固く隠されている。 ガレージは既に崩壊しており、台所もひどい状態だ。床はもう少しましだが、これも一階の床の支えが十分でないのでそのうち崩れてしまうのだろう。この家は1948年に建てられており、人が住まなくなってからは少なくとも10年以上は経っている。
たくさんの木が落ちて、そのせいで窓や屋根の一部が破損している。そこから水分が染み入って、木造のこの建物の全体にまわってしまい、木が腐って海綿状になり、外壁はカビやこけに覆われてしまっている。
しかし、こんなに朽ちた中に、実は過去の歴史がどっしりと詰まっているのだ。まるで、ぼろぼろになってページがとれたり無くなったりしている歴史の本を開く様な気分だ。もっと知りたいとは思わないだろうか?見に行ってみよう!以前は庭だった側にある入り口。ここから冒険を始めよう。
廃墟ではお決まりともいえるお出迎え、着物姿の人形だ。一階には広いダイニングルームがあり、その裏には小さめの台所がある。
ダイニングルームだけでも驚く様な発見だ。古いテレビ2台、細々したたくさんの物、頭が割れたパンダ、、、
台所は、他のところよりさらに注意が必要だった。
少し動こうとしたら、いきなり50センチも沈んでしまった。冷蔵庫の中を覗きたかったのに残念だ。多分賞味期限付きの食品がはいっていて、過去の生活のヒントになったかもしれないのに。
冷蔵庫の中を覗きたかったのに残念だ。多分賞味期限付きの食品がはいっていて、過去の生活のヒントになったかもしれないのに。
台所には3台目のテレビがあった。これはソニー・トリニトロンの最初のモデル(KV-1310)の一種だ!1968年製のモデルだ。ちなみに、このテレビは天井にくっついているわけではなく、写真が逆さまになっているだけだ。
階段を上る。2階の床は随分しっかりとしており、難なく歩き回ることが出来た。価値のある物がたくさん詰まっている部屋が2つあった、、、1部屋目の入り口には老いた日本人女性の写真があった。もう少し行くと、別のドアがある。これはきっとバスルームだ(絶対あるはずだ)!
さらに進んで行くと、今度はビールとワインを前にして葉巻を手にする年配の男性の写真があった。この人もここに住んでいたのだろうか?この人のことは「ガイジン(外人)」と呼ぶことにしよう。
最初の部分は、オフィスのようだった。ただ、家の周りは木がびっしりと茂っているので、大きな窓が3つもあるのに、部屋は非常に暗く、はっきり見えないのだ。布団がそこら中に積まれている。誰かが、いつでも引っ越しが出来るように用意していたように見える、、、
決して一晩で、人が出て行ってしまった感じではない。机の横には、何かメッセージがかかれた紙がついた奇妙な箱がある。
こんな古い廃屋を 「キッチュ」という言葉で表現してもいいだろうか?
この謎の箱は、どうも「ポッポちゃん」という名前の鳥の巣箱だったようだ。その鳥は1979年に死んだと書いてある。この巣箱は、東京の中心地にある有名ホテル、ホテルオークラの包装紙に包まれている。
時間がない。この家には品物、手紙、土産物等、見たいものが多すぎて方向を定めるのが難しい。
絵葉書、請求書、写真等、引き出しいっぱいに詰まった思い出がそこには全て残されていた、、、
その中でも、特に目を引いたのがこの発見だ。例の外人がイギリスのエリザベス女王と並んでいる写真だ!不思議に思わないわけが無い!
その部屋をして次の部屋へ移動する。トイレだと思われるドアの前にはラジオか蓄音機と思われる物がある。これはアドミラル6S12という型で、1951年の物だ。
2つ目の部屋は、畳敷きで伝統的な日本の部屋という感じだった。ここにも、色々なものがあった。この部屋にある物は、他の部屋の物より特に古そうだ。
4台目のテレビだ!このテレビの情報はどうしても見つからなかった。コロムビア製デラックス「ブラック・デイライト」テレビだ。どうみても安くはないはずだ。この一家は贅沢な暮らしぶりがうかがえる。
テレビの上には、入り口近くの床に落ちていた日本人形より、随分と保存状態が良い人形があった。
床には恐ろしい老婦人の肖像画があった。この老婦人のことは「オカアサン」と呼ぶことにする。要約しておこう。ガイジン、鳥、老いたオカアサン。テレビ4台と、英国女王も付け足しておくべきだろう。豪華で、特権階級との関連があるとは、いったいここにはどんな歴史があるのだろう?家の真ん中に鳥までいたのだ。
次の興味深い発見はビデオ映写機だ。これを使って、このロイヤルハウスの歴史がわかればものすごいだろう!
部屋にはオカアサンの仏壇もある。肖像画とは反対に、オカアサンがとても弱々しく写っている写真もある。
オカアサンの写真の近くには「ポッポちゃん」の写真もある。老婦人がかわいがっていたんだろう。
部屋の右側には古びた写真が大量にあった。左の写真は多分「オトウサン」だろう。その後ろには皇室の写真がある。その横は幼い子供。そしてその後ろにさらに2枚の写真。
この写真があるのは興味深い。昭和天皇だ。中国侵略と残虐行為、ナチスドイツとの同盟、それに続く日本への2発の原爆投下と、昭和天皇の歴史はかなりのものだ。真ん中に写っている子供が現在の天皇である。
この写真に写っている幼子や、ましてや後ろの男性二人は、誰なのか見当がまるでつかない。この丸眼鏡の男は、オトウサンと同一人物なのか?小さい方の写真は若い頃なのか?
ここで何か奇妙なことが起こったとしか考えられない。ここは尋常な雰囲気ではない。でも何が変なのか?
ホテルオークラの袋がたくさんある。この家族はホテルオークラにしょっちゅう行っていたに違いない。このランプに立てかけられた「ハッピー・バースデー」の色紙は何だ?なぜ強調されているのか?
この皇室の家紋がついている木箱もとても奇妙だ。残念なことに、中にはほとんど何もなかったが、、、
皇室の家紋がついた、日本語で書かれた書類があった!それは学校での帝国規則が書かれた正式な書類だった。生徒たちはこれを暗記して暗唱しなくてはならなかった。この文書は第二次世界大戦以後は禁止された。過去の遺物だ!
家の中には紙幣もあった。古い硬貨や千円札、、、なんと百円札もあった!
廊下をもう少し進んで行くと、またあのガイジンの他の写真があった。成功溢れる俳優かビジネスマンといった感じだ。この写真ではもっと若く見える。
初めは気づかなかったが、メインの入り口付近にもホテルオークラの名前入りの袋やパッケージがたくさんあった。まただ!また「ハッピー・バースデー」の寄せ書きがあった。
あまり詳細を見ている時間はない。しかし、ここに1960年にロンドンから送られて来たフランス語で書かれた絵葉書があり「ママへ、ロンドンでは元気に暮らしています。」と書かれている。「すぎこより」で締めくくっている。宛先の住所(ここではフォトショップを使って消した)はこの家になっている。この家で見つけた他の手紙のほとんどはホテルオークラ付けの「きよみ」という人物に宛てたものだった。ここで、歴史のリストに、「すぎこ」と「きよみ」を追加する。
もう帰る時間だ。これから色々調べなければならない。もっとこの場所について知りたいです、この場所の歴史が理解したいです。インタネット上の情報調べるのと都内実際関係ある場所に行って参ります。それなら各ストーリーの不明瞭さも絶対なくなるでしょう!
しかし、どうしても、この森深くに眠るこの古い屋敷に帰ってこなくてはならない、、、そのときには謎の扉が開くかもしれない、、、
、、、その時には恐ろしい秘密が明かされる!
ここでロイヤルハウスの序章は終わりだ。近日中に、新たな探検とその中で発見した多くの新しい真実を満載した記事を書くつもりだ!それまでの間は、この記事に関する感想(良くも悪くも)をいただき感謝している。特に皆さんからのこの家と家族の歴史に関する憶測や考え等には感謝する。
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